Auction
大門に衛兵が詰める、王都のミナス・ティリスに好んで近づく犯罪者はいない。けれど、脛に傷持つ者は恐れ知らずでもある。衛兵の目をかいくぐって街に入り込む者は少なくなかった。
また、旅から旅へと渡り歩く者は、後ろ暗いことがなくとも、街の者から見ればどこか胡乱な雰囲気が漂う。そういった男たちが集う宿屋には、自然と街の人間は近づかなくなる。いわば、無用のトラブルを避ける棲み分けだ。
そんな宿屋のテーブルで、船乗りだと名乗った三十前後の男を相手に、アラゴルンは掛け札に興じていた。
「へぇ、ハルロンドでそんな話が」
アラゴルンが相槌を打つと、船乗りは札を交換しながら頷いた。
「ああ。普段なら乗る話だが……」
「乗らなかったのか」
船乗りが語った話は興味深かった。荷札はペラルギアだが、そこで下ろさず、ポロス川上流まで運んで欲しい——そう耳打ちして、ハルロンドで船を探している者がいるという。報酬は通常の三倍。
——いったい、どんな荷物なのやら。
詳しい話を聞きたいと思ったが、船乗りは仕事を断ったらしい。
「報酬が良すぎる」
「良くてはまずいのか」
「うますぎる話はやばい」
船乗りはきっぱりと言った。雇い主の船に積む荷の到着が遅れたため、ハルロンドから暇つぶしにやって来たという。ついでにひと稼ぎなどと、調子のいいことを言っていたが、儲け話の良し悪しを見定める目は持っているらしい。
「大金を散らつかせるのは、命が危ないって証拠だ。あいにく、他人の荷物に懸けるような命は持ち合わせちゃいないんでね」
にやりと笑って、いっぱしの口を利く。
「用心深いんだな」
「そうでなくちゃあ、やってけない」
「違いない」
アラゴルンは笑って札を交換した。良い札ではなかった。そうと悟られる顔はしなかったはずだが、目の前の男はこちらの手札を見透かしたように笑った。
「そう言うあんたも……悪くないが、こういうとこじゃあ、やってけないほうだ」
「そうか?」
「ああ。詰めが甘い」
「よく言われる」
「だろ? 俺の勝ちだ」
自慢げな表情で男は手札を返した。同じ絵柄の札が四枚揃っていた。
「なるほど」
アラゴルンは苦笑して手持ちの札をめくった。同じ模様の札が二枚ずつ。船乗りの勝ちだ。
「銀貨三十枚。稼がせてくれて礼を言うぜ」
「それはどうも、と言いたいが、あいにく手持ちはこれだけなんだ」
銀貨十枚をテーブルに置く。最高権力者なんてものをやっているが、アラゴルンの意のままにできる私財は少ない。衣食住が予算で賄われるから、かえって小金に困るのだ。
「残りは……これで代わりにならないか」
懐から紅玉を取り出し、銀貨の横に並べた。この紅玉は数少ない私有の品だ。裂け谷から持ち込まれた荷物に入っていたもので、大きさもあり質も良い。銀貨二十枚なら釣りのほうが大きい。だが、男はしげしげと紅玉を見た後、銀貨十枚だけを取った。
「こいつは受け取れねぇ」
「なぜだ。足りないか?」
「あんたも言っただろ。俺は用心深いんだ。うますぎる話には乗らない」
「盗品ではないぞ」
「それを信じろって言うのか?」
男は疑わしい目つきでアラゴルンを見た。今の風体では怪しまれても仕方がない、とはいえ、そんなに自分は人相が悪いのだろうか。少々複雑な気分になる。
「あんたの言葉どおり、そいつがまっとうな品だったとしてもだ。そんなご大層な代物、俺みたいなのが故買屋に持ち込んでみろ。間違いなく官憲を呼ばれちまう。やっかいごとは御免だ」
「口の堅い店があるだろう」
「冗談。やつら官憲には口が堅くても、別方面には緩いんだ。あんまり派手な物を持ち込むと、官憲より面倒なのに目を付けられる」
なるほど、用心深いと言うだけあってしっかりしている。
「しかし……そうなると困ったな。あんたに払うものがない」
ふざけるな——そう怒鳴られるかと思ったが、船乗りの反応は違った。
「あんた、腕は立つんだろ」
「それなりに」
「ちょっと立ってくれないか」
立ち上がると、彼はアラゴルンの頭のてっぺんからつま先までをしげしげと眺めた。
「ちょいと痩せてるが悪くないな」
身体つきを確かめるように、肩や腕、胴まわりを軽く叩くように触る。
「よく見りゃ器量もなかなかだし、小綺麗にすりゃ見える姿になりそうだ。よし決めた」
女衒が娘を値踏みするような台詞を口にして、納得するように頷いた。いったい何を決めたんだと思ったら、船乗りはおもむろに口に手を当てて叫んだ。
「お集まりの紳士諸君。ただいまより今夜の目玉、競売を行います。諸君が競り落とすのはこちら——」
突然、アラゴルンは身体を持ち上げられ、テーブルに乗せられてしまった。
「腕の立つ旦那。用心棒、傭兵、騎士と如何様にも使える人材。まずは——」
予想外の展開だった。
——おい、ちょっと待て……。
さすがにアラゴルンは焦った。だが、勝手に売るなと止める間もない。
「銀貨五枚からどうだ」
競りは始まってしまった。それも、銀貨五枚から……。
——わたしはそんなに安いのか?
「おいおい、兄ちゃん。用心棒なんて、ここには余るほどいるぜ。他に売りはないのか」
しかも、余っていて売れそうにないらしい。
「おい」
「なんだ」
「なんだ、じゃない。“売り”になるような芸はないのか? あんたの借金なんだ。がんばって銀貨二十枚まで値上げしろよ」
勝手に競りにかけておいて無茶を言う。だが、借金があるのは事実だ。
「芸と言われても、芸人ではないからな」
「稼げなかったら、さっき話してた荷主に売り飛ばすぞ」
「ポロス川上流に運ぶという、あれか?」
「ああ。前金で返してもらえばいい」
「それは困るな」
「だったら、手を考えろよ」
遠慮のない物言いだったが、なぜか腹は立たなかった。仕方がない。二十枚分稼げるかどうかわからないが——
「やるだけやってみよう」
アラゴルンはマントを脱いで鞘ごと剣を外し、軽くテーブルを蹴った。身を捻りながら、隣のテーブルへ降りる。
「失礼」
一礼して再度跳躍する。宙でくるりとまわり、座っている人間の頭を蹴らないよう、注意しながら別のテーブルに降りた。幸い、エールも料理もひっくり返していない。茫然と見上げる男たちに軽く一礼し、また別のテーブルへと跳躍する。
剣舞の応用だった。これで稼げるのかわからないが、自分には他にこれといった芸がない。歌は……身元が割れる恐れがある。
剣舞といっても、さすがにここで剣を抜くのはまずい。鞘に収めたままで振りも抑えている。すべてのテーブルをまわって、最後はカウンターに着地した。さて、結果は——
「銀貨七枚」
とりあえず、値上がりした。やれやれと息を吐いたら、さらに声がかかった。
「十枚」
「十二枚」
「十五!」
一気に値が上がった。ほっ、とは……
——できないか……。
なにせ、競りの対象は自分だ。落札者からどんな要求をされるかわかったものではない。とりあえず、紅玉で話をして、それで収まらなかったら……のしてしまうか、と王にあるまじきことを考えていると——
「十七枚!」
「十八」
「二十!」
あっという間に目標の額になった。ところが、出品(?)者である船乗りのコールがかからない。どうしたんだと目を遣れば、ぼうっとした表情でこちらを見ている。瞬く間に金額が上がったため、実感が湧かないのだろうか。
「二十と二枚」
「二十五!」
落札のコールがかからないため、値が吊り上がった。船乗りは止める気配がない。稼げるだけ稼ぐつもりだろうか。
「二十七」
「三十!」
金額が上がるにつれ、声に妙な凄みが感じられるようになった。いい加減止めてほしい。下手な値段がついたら、話を付けるのに一苦労だ。
「三十五!」
また、上がった。アラゴルンは、ちょうどカウンターに寄ってきた船乗りに声をかけた。
「おい、二十はとっくに超えてるぞ」
「あ、ああ。そうだな」
アラゴルンの声に、彼はようやく我にかえったような顔をした。早くコールしろ、と思ったそのとき、一際鋭い声がかかった。
「五十!」
「売った!」
すかさず、船乗りがコールした。が……、
——今の声は……。
フードを目深にかぶった背の高い男が近づいてくる。そのマントはイシリアンの野伏が身に付けているものと同じだ。アラゴルンはカウンターの上で立ち尽くした。背中に冷たい汗がつたう。落札者は懐から袋を取り出すと、船乗りに向かって突き出した。
「金貨三枚、銀貨二十枚。銀貨五十枚分ある」
静かな口調だったが、声から冷気が滲み出ていた。先程まで賑やかだった場がしんと静まり返る。剣呑な気配を纏った相手に、船乗りは袋を受け取るどころか後ずさった。
「早く受け取れ」
胸元に袋を突きつけられ、船乗りはおずおずと受け取った。ちらりとアラゴルンのほうを窺う。アラゴルンは無言で小さく頷いた。それを「心配するな」と了解したのだろう。
「じゃ、じゃあ、俺はこれで……」
船乗りはそそくさと外に出て行った。
——脅すなよ……。
アラゴルンはため息を吐いて、カウンターに腰を下ろした。フードの下を覗けば、案の定、物騒な光を宿した碧い瞳があった。鋭い視線を浴びせられ、思わず目を逸らす。
「あの……」
傍らから恐る恐る呼びかけられた。冷気を漂わせている男と同じマントを羽織り、フードをかぶった人間がアラゴルンのマントを差し出した。口許まで布で覆っているが、若い男のようだ。
「ありがとう」
アラゴルンはカウンターを降り、素早くマントを羽織った。無言で促されて宿屋を出る。若い男は「わたしはここで……」と一礼し、去っていった。
「彼がわたしを見つけたのか?」
声をかけたが、隣を歩く男から返事はなかった。振り向きもしない。
「ファラミア。怒るのはわかるが……」
「怒る?」
ファラミアの足がぴたりと止まった。
「わたしが怒っていると、そう思っておいでで?」
「違うのか? あ、それと、銀貨五十枚は必ず返すから」
「とんでもございません。主に金銭を返させるなど」
返済の話は、わざとらしいほどの強い調子で遮られた。
「しかしだな、こういうことはきちんとしておかねば……」
「ええ。ですから、きちんと購っていただきます」
執政の顔に不気味な笑みが広がった。
「怒ってなどおりません。むしろ喜んでおりますよ。銀貨五十枚など、あなたを買えるなら安いものです」
「売った憶えはないが……」
「おや、そうですか。身柄は落札者の望むままだと聞きましたが」
「……いつからあそこにいたんだ」
「額が二十枚を超えたあたりです」
「知ってて、五十枚払ったのか」
「ええ。もちろんです」
フードの影で碧い瞳が異様な輝きを放つ。
「さっそく今夜から、わたしの望みを聞いていただきましょうか。陛下」
白の都の執政は満面に喜色を浮かべた。それとは対照的に、白の木の王は青ざめた顔を引き攣らせた。
END