隼と主君
南イシリアンの上空を一羽の隼が旋回している。脚部に見える足革には、小さいながらもゴンドールの白の木の紋が刻まれているのを、執政であるファラミアは知っていた。飛んでいるのは昨年の初夏、ゴンドールの王エレスサールが拾い、トゥアスールと名付けられた隼だった。
北イシリアンへ出かけた折、ヘンネス・アンヌーンの近くで、地面に落ちている雛をエレスサール自身が見つけたのだ。巣から落ちたのだろうか。白い羽毛に覆われた雛は甲高い鳴き声を上げていたが、辺りを見まわしても応える親鳥の姿は見えなかった。
——鷹匠への土産ができたな。
そう言って笑んだ王は、狩った兎の肉を小刀でそぎ取り、餌をねだる雛に与えていた。
——雄だから、鷹匠はがっかりするかな。
雛のやわらかな羽毛を撫でながら、エレスサールは苦笑した。
鷹匠は雄鳥より雌を望む。猛禽類は雄より雌のほうが体が大きい。そのぶん力も強く、大きな獲物を狩ることができるからだ。
——そんなことはございませんでしょう。雄でも狩りはできます。飼育小屋にも、確か雄の鷹がいたと思いますよ。
ファラミアは答えた。雌が望ましいとはいえ、常に雌鳥を手に入れられるわけではない。それに主君が拾った雛だ。不満はあるまい。ファラミアが予想したとおり、鷹匠たちは特に不満を表すことなく雛を預かった。
秋から念入りに狩りの訓練を施し、冬の終わりにようやく御前で腕前を披露することになった。
——そんなに慎重にならなくても良いものを……。
鷹匠の慎重さに、エレスサールは呆れ半ばの苦笑いを浮かべていた。「あの雛が一人前に飛ぶようになったと聞いたから、一度見てみたいと言っただけなのだが……」と。
エレスサールはごく軽い気持ちで「見てみたい」と言っただけなのだろうが、鷹匠にしてみれば「はい、どうぞ」と気軽に応じられる用件ではなかったのだろう。
なにしろ主君から預けられた大事な隼である。御前で披露して、万が一にも粗相——狩りをしくじってはならないと慎重になったのだ。し損じた場合、訓練した鷹匠の技量が問われることになる。
仮に隼が獲物をし損じたとしても、エレスサールが立腹して叱責……なんて事態になるはずもないが、そんな主君の寛容さに甘えるのは、鷹匠のプライドが許さなかったようだ。
先程、エレスサールの前に隼を差し出した鷹匠の態度は堂々としていて、自信の程が窺い知れた。しかし、実際に狩りを行うのは彼ではない。果たして虚空へ放たれた隼は、それだけの成果を出せるか——。
結果はさほど時を経ずに出た。
アンドゥインの浅瀬から飛び立った鴨の群れに、トゥアスールは翼をたたみ、上空から矢のように突っ込んでいった。逃げ惑う群れとトゥアスールは二度、三度と交差し、やがて一羽をその鋭い爪に捕らえた。
その後、地面に降り立つかと思ったが、なんとトゥアスールはこちらへ向かって飛んでくるではないか。その身よりも大きいのではないかと思うような獲物をさげ、一直線に飛んできたトゥアスールは鷹匠の元ではなく、エレスサールの足下に降り立った。獲物から足を放し、甲高い声を上げて自慢するように翼を広げた。
これには見ていた全員が驚いた。鷹狩りはその名のとおり、猛禽類に狩りをさせるものだが、獲物を狩った鳥は近くに降り立つのが普通で(それを鷹匠が回収する)、こんなふうに獲物を持ち帰ってくることはない。
「わたしにくれるのか?」
エレスサールがかがむと、トゥアスールは答えるようにクェークェーと鳴いた。
「そうか、ありがとう」
エレスサールが左腕に革の篭手をはめて差し伸べると、トゥアスールは軽く羽ばたき、うれしそうに腕に止まった。
「見事な獲物だ。よくやったな」
エレスサールは眼を細め、手ずからトゥアスールに褒美の肉を与えた。トゥアスールが猛然と肉を啄みはじめる。
「敵いませんな、陛下には」
それまで茫然と成り行きを見ていた鷹匠が、ようやく我を取り戻したように苦笑した。
「わたしの腕から飛び立ったのに、陛下の元へ戻るのですから」
いくら拾ったのがエレスサールとはいえ、訓練を施してきた鷹匠にしてみれば、立場なしだろう。しかも獲物を持ち帰って来させるなど、鷹匠にもできない芸当をさせたのだ。
「トゥアスールはわたしが拾って、しばらく面倒を見ていたから、そのせいだろう。ほら、鳥は雛の頃に見た人間を親だと思い込むそうじゃないか」
鷹匠に慰めの言葉をかけ、エレスサールはトゥアスールの灰色の背を撫でた。トゥアスールはうまそうに肉を啄んでいる。その様子を見ながら、本当に“親だと思い込んでいるだけ”なのか、ファラミアは疑問に思った。
エレスサールの言うとおり、雛の頃に人を知った鳥は親のように慕うようになる。しかし、それならば雛の頃から預かって訓練を施してきた鷹匠も、大した違いはないだろう。
だが、トゥアスールがエレスサールに対して起こした行動は鷹匠が茫然とするものだった。狩った獲物をエレスサールの元へ持ち帰り、誇らしげに鳴いて見せるなど……
——まるで求愛の給餌行動ではないか。
猛禽類の求愛行動は飛行して行われることが多いが、雄が雌へ獲物を贈る給餌は地面で行われることもある。
——稀代の英雄は隼をも魅了するのか。
そんな主君を誇りに思うべきか、それとも……。
微笑んで隼を愛でるエレスサールを眺めながら、主君が万物に愛されることを素直に喜べない利己的な己の思考に、ファラミアはそっと苦笑をこぼした。
END