午睡
客間へお茶を運んだイシリアン公妃エオウィンは、客の姿が見えないこと、窓が開いていることに少々慌てた。客人は二人、ローハンの王となった兄エオメルと、白の木の王エレスサールである。
この二人が揃うと、必ずと言っていいほど、供回りの目を盗んで抜け出すのだと夫から聞いた。ゆえに、両名が揃ったときは、エドラスでもミナス・ティリスでもピリピリしているのだそうだ。そんなやっかいな二人をエミン・アルネンに迎えたのには、もちろん理由がある。
発端は、嫁ぎ先での妹の暮らしぶりを見たいという、エオメルからゴンドールの王への依頼だった。それなら遠乗りを兼ねて、二人でエミン・アルネンに二、三日滞在したいとエレスサールが望んだ。執政を兼ねる夫のイシリアン公が承知し、昨日から館に賓客を迎えている。滞在予定は明日の朝までだ。
夫であるファラミアは外せない仕事があり、今朝、やむを得ずミナス・ティリスへ発って留守である。しかし、ぬかりはない。客人二人からは無断で出歩かない旨、言質を取ったと言っていた。
——我が陛下はいろいろ困った癖をお持ちだが、約束なさったことは守ってくださる。
その点は兄のエオメルも同じだ。だから、二人が黙って部屋を空けるはずはないのだが——
「あら」
茶器をテーブルに置き、ソファをまわり込んだエオウィンは、その光景に目を見張り、ついで口許を綻ばせた。
——兄上にしては上出来、と言うべきかしら。
マークの王とゴンドールの王は風そよぐ窓辺で仲良く昼寝中だった。エオメルが仰向けに寝転がり、その胸元——というか、腹の上と言ったほうが正しいような位置——に、なんとエレスサールの頭が乗っている。
敷物の端に無造作に寝転がっているようで、その実、場所は選んだのか、うまい具合に直接、陽の光は当たっていない。エオメルの手が大切なものを抱くように、エレスサールの肩に置かれていた。草原の民も石の国の民も、自分たちの王の“会談”がこんな内容だとは思わないだろう。
「……エオウィン?」
兄を枕にしていた人が目を開けた。
「申し訳ありません。お起こししてしまいました」
「いや、いいよ。こちらこそ、貴女の大切な兄上を枕にしてしまった。すまない」
エレスサールが黒髪を掻きあげながら起き上がった。
「構いませんわ。お役に立つのでしたら、枕にでも毛布にでも。どうぞお使いください」
エオウィンの言葉に、エレスサールは目をしばたいた。
「それはまた……エオメル殿が耳にしたら……」
「あら、兄はいたって喜ぶと思いますけど」
エオウィンが笑うと、エレスサールは物問いたげな様子で首を傾げたが、口にしたのは別のことだった。
「ところで、公妃のご用件は?」
「お茶をお持ちしたんです」
「そうか。では、冷めないうちにいただこう」
エレスサールが立ち上がる。エオウィンはエオメルの脇に膝をついた。安心しきって眠っているのか、未だに目を覚まさない。
「兄上、起きてください。お茶を……」
エオメルを起こそうと声をかけると、エレスサールが「エオウィン」と呼んだ。
「気持ちよく眠ってるんだ。寝かせておこう」
「ええ、ですが……」
エレスサールがお茶を飲んでいる間、眠りこけていたと知ったら兄は悔しく思うのではないだろうか。だが、エオウィンの逡巡をエレスサールは別の意味に取り違えたようだ。
「ああ、そうか。マークの王を床に寝かせておくのはまずいな」
床どころか草原に寝転がる兄にそんな気遣いは無用だが、それを言う間もなくエレスサールはエオメルを肩に担ぎ上げて立ち上がった。
「エオウィン。ソファに下ろす。手を貸してくれ」
二人で慎重にソファに移す。これだけ動かされても眠っていられる兄は大物なのか、鈍いだけなのか……。
「ありがとう。起こさずに済んだ」
エレスサールは微笑し、自分がかけていた上着をエオメルの上にそっと被せた。その眼差しは、今は亡きセオデンやセオドレドが、自分たち兄妹を見ていたものとそっくりだった。
——陛下にとっては歳の離れた弟、もしくは親しい者の忘れ形見……に近いみたいですわ、兄上。
エオメルがエレスサールに対して、憧憬より強い想いを抱いているのは一目瞭然だった。夫のファラミアも忠誠心とは異なる感情を持っているようだ。彼らの感情は、かつて自分が抱いていたものに近いのではないだろうか。エレスサールが気づいているのか否かはわからないが——。
「このお茶は、この前、メリーが持ってきたものかい?」
声に振り向けば、いつの間にか、エレスサールがお茶を注いでいた。
「陛下。わたしが……」
慌てて手を伸ばし、ポットを受け取ろうとしたが「はい。どうぞ」とカップの乗ったソーサーを渡されてしまった。これでは立場がない。エオウィンは肩を落としたが、エレスサールはそんなことには気づいていないのか、幸せそうにお茶を飲んでいる。穏やかな青灰色の瞳はソファでのんきに眠っているエオメルを見ていた。
——ちょっぴり、妬いてしまいそうですわ。兄上。
「エミン・アルネンも落ち着いてきたね」
「ええ」
のんびり話す主君に相槌を打ちながら、エオウィンは思った。妬けるのは自分だけではない。陛下が兄を枕にお休みになっていたと聞かせたら、良人はどんな顔をするだろう。
——午睡は高くつきましてよ、兄上。
エオウィンは兄の寝顔に目を遣ってにっこり微笑んだ。
END