Here's to you!
「すまないな。あなたまで巻き込んでしまって……」
白葡萄酒を注ぎながら、石の都の王が苦笑いを浮かべた。
「何をおっしゃいます。こうしてあなたに会って、あなたの生まれた日を祝える——こんなうれしいことはありません」
我が主君の生誕を祝う宴へお越し願いたい——舅であるドル・アムロスの大公から書簡が届いたのは、まだ寒さの厳しい季節だった。
モルドールの闇を払い、ゴンドールの玉座に昇ったエレスサール王は、ローハンにとっても救国の英雄だ。彼が王位に就いて以降、春先には誕生祝いとして特産品を贈っていた。今回の招待にも断る理由はなく、半月程前にエドラスを出立してきた。ミナス・ティリスに着いたのは三日前である。
その折、イムラヒル公へ挨拶したところ、エオメルの到着を喜ぶ彼から打ち明け話をされた。曰く——、これで陛下も宴を質素にしようとは言えなくなる、と。
主君の生誕を祝う式典なら、盛大に執り行いたいのが臣下の心だ。だが、ゴンドールの王であるアラゴルンは奢侈を好む性質ではない。国の復興を第一に考える今、自身の生誕の祝典や宴など、全部略してしまいたい気分だろう。
しかし、それでは国の威儀が保てない。かといって、正攻法では——妙なところで——頑なエルフの石を説得できない。そこで、隣国の王という国賓を招くことにしたというわけだ。賓客を迎えれば、見合うだけの宴を開くのが礼儀だと、アラゴルンの首を縦に振らせることが出来るからである。
——派手好きよりはマシと思うが、妙なところで苦労させられるお人だ。
愚痴めいたことをこぼしながら、舅はうれしそうに笑っていた。
アラゴルンがそんな裏事情を直に聞いたとは思えないが、薄々察したのだろう。宴を退けて執務室まで付いてきたエオメルに、彼は「すまない」と先程の台詞を言ったのだった。
「乾杯しましょう」
エオメルは杯を取り上げ、目の高さにかざした。
「もう散々しているんだが……」
アラゴルンが呆れた表情で呟く。
「いいではないですか、何度でも。めでたいことなんですから。さあ——」
エオメルが催促して杯を掲げると、彼は仕方なさそうな笑みを浮かべて杯を持ち上げた。
「あなたが生まれた日に、そして、あなたと出会えたことに、乾杯!」
カチリと杯を合わせ、エオメルは葡萄酒を飲み干した。アラゴルンは杯に口を付けたが、飲み干すことはなく、考え込むような顔でぼそりと呟いた。
「わたしの生まれた日の、何がそんなにめでたいんだ……」
エオメルは憮然となった。
「めでたいに決まってます!」
杯を置き、がっしりとアラゴルンの肩をつかむ。
「あなたが居なかったら、わたしは今、生きていないかもしれない。ゴンドールだけでなく、ローハンという国もなくなっていたかもしれない」
ヘルム峡谷は陥落していたかもしれず、自分もいずこの戦場で斃れていたかもしれない。妹も二度と目を覚ますことがなかっただろう……。
「それなら、わたしも同じことが言える。あなたやセオデン殿、ガンダルフやフロドら、共に旅をした仲間……、ローハンの人々やゴンドールの兵士たち……、彼らの助けがなかったら、わたしも生きていられたかわからない」
生真面目な声が返ってきた。美しい青灰色の瞳に翳りが落ちる。
「それは、そうですが……」
犠牲になった者たちのことを思い出したのか、アラゴルンは目を閉じ、そっと顔を伏せた。まるで罪深い行いを恥じるように……。
——何を恥じるのだ。
エオメルは怒りにも似た感情を覚えた。
——今、生きていることをか?
彼の祖先がかの指輪の誘惑に屈し、冥王の魂を生き長らえさせたことはエオメルも聞いた。結果、暗い時代が到来し、多くの犠牲を生んだ。モルドールは滅んだが、その傷痕は今も残っている。国土に、そして人々の心に。しかし、だからといって、
——あなたが生きることに、いったい誰の許しが要るというのだ。
犠牲になった者たちも、この人のことを恨んでばかりではないだろう。
「アラゴルン殿——」
エオメルは再びアラゴルンの肩に手を置いた。
「今日はあなたの生まれた日です。だから、他の誰でもない、あなたが生まれたことを祝う。少なくともわたしにとって、あなたに出会えたことは祝う価値のあることですから。そういう気持ちを受けてはいただけませんか」
瞠目する青灰色の瞳をじっと覗き込む。
「それに、あなたがご自身を軽んじれば、それはすなわち、あなたに力を貸した者たちも軽んじることになりますぞ」
こんなことは長い歳月を生きた彼にとって、わかりきったことかもしれない。自分のような若造が知ったふうな口を——と、笑われるかもしれない。けれど、言わずにはいられなかった。
「……すまない」
ハッとした光が青灰色の瞳に浮かび、その頬が少し緩んだ。
「そうだな、……そうだった。わたしは大切なことを忘れていた」
口許に自嘲めいた笑みが浮かぶ。
「最近ずっと、国王の誕生日を祝うのは重要だ。式典は大きな意味がある。略すなどとんでもない……、そんな声ばかり聞いていたものだから、何がそんなに重要だ。国にとって大きな意味を持つことは他にあるだろう——と、こんなふうにしか考えられなくなっていた」
とん、とエオメルの肩に、彼の手が置かれた。
「ありがとう」
「いえ……」
意外だった。この人でも、こんなふうに気持ちを見失うことがあるのかと。こつり、と彼の額が肩に乗った。その身体をそっと抱き締める。じんわりとした温もりが腕から伝わってきた。
「アラゴルン……」
エオメルがこめかみに唇を寄せようとしたとき、パッと彼が顔を上げた。
「エオメル。改めて乾杯させてくれ」
にこりと笑った顔に逆らえるものではない。
「いいですよ。何度でも」
杯に新たな葡萄酒が注がれる。
「では、改めて——」
エオメルが杯をかざすと、アラゴルンがやわらかな笑みを浮かべて答えた。
「あなたに、マークの王」
「アラゴルン殿、あなたに——」
「乾杯!」
合わさった杯が祝福するように、澄んだ音色を響かせた。
END