Teacup
国の復興という命題は、王位に就いたエレスサールに多忙な日々を強いていた。だが、どんなに忙しくとも、執政ファラミアがミナス・ティリスに滞在する折は、お茶の時間を設けるようになった。その理由について執政は、「そうでもしないと、陛下は終日同じ姿勢で机に向かっていることがあります」と語る。ファラミアの留守中はお茶の時間があったりなかったりだそうだが、食事と睡眠には侍従や厨房の者が注意している。
エレスサールは手が空けばいつの間にか執務室を抜け出し、ときに街に繰り出す困った癖を持っているが、政務を滞らせることはない。野伏時代に培った驚異的な集中力は執務でも発揮されている。が、いささか度を超えているため、周囲が無理にでも息抜きをさせないと、食事も睡眠も疎かにしかねない。いくら無理が利く身体とはいえ、限度がある。倒れられては執務が遅れるより問題だ。彼に代わりはいないのだから。
そんな理由で始まったお茶の時間だが、ときには王妃や親しい友人が同席するようになった。彼らから贈られた茶器や茶葉も増え、それらを選ぶのをエレスサールなりに楽しんでいるようだ。そのため、畏れおおいことに王手ずから淹れたお茶になることがしばしばあった。とはいえ、王が「どれを使おうか」と訊くため、ほとんどの場合、茶器を選んでいるのはファラミアだったが。
本日の茶器は白磁に野いちごを散らした柄。選んだのはホビット庄から迎えた客だった。
「そこの店はね、お客に出すカップがひとつひとつ違うんだ」
スコーンにバターを付けながら、勢い込んでピピンが言った。
「それを言うなら、一人一人違う、だろ」
隣から、カップをソーサーに置いたメリーが訂正する。この二人は相変わらずだ。
「同じことじゃないか」
「カップが全部違うのと、お客一人一人に選んで出すのとは意味が違うだろ」
「けど、一緒のもあった」
「色は違って……」
「おもしろい店だな。カップを選んでくれるのか」
いつまでも続きそうなやり取りを、エレスサールが遮った。
「うん。そう」
「前はちゃんと揃いのカップを使ってたらしいよ。けど、モルドールに攻め込まれたときに、いろいろ壊れたんだって」
「そう、それで店を再開するとき、どうしようか考えて——」
「バラバラのカップならではの方法を思いついたんだってさ」
「ご近所で壊れた余りを譲ってもらったりして」
「なんとか店を開けられたって——」
「モルドールも滅んだし、王様も戻られたからがんばるんだって。ゴンドールの女性も前向きだよね」
二人で交互にしゃべっているのに、きちんと説明になっている。同席していたファラミアは、ぴったりの呼吸に感心した。
「女主人なのか」
「うん。旦那さんは戦争で亡くなったって」
「……そうか」
王の顔に影が差した。だが、ファラミアの気遣わしげな視線に気づいたのか、彼はすぐに何事もなかったように微笑んだ。
——また……。
ファラミアは不自然にならないように視線を逸らした。こういうとき、いつも思う。自分がそばにいては、真の意味で彼がやすらぐことはないのかもしれないと……。
「でも、意外だな。けっこう評判になってる店だって聞いたけど」
一瞬の空白を置いて、明るいピピンの声が響いた。
「馳夫さん、知らなかったんだ」
メリーも意外そうにエレスサールの顔を見上げる。他の者が聞いたら眉を顰めそうな呼称だが、ファラミアは咎めようとは思わない。二人は親しみと敬意を込めて呼んでいる。王冠を被ろうと、豪奢な衣装を纏おうと、彼らにとって“エルフの石”は共に旅をした“馳夫さん”なのだ。呼ばれた王自身、そんなことにこだわっていない。今もにこにこと笑っている。
「お茶を出す店なら、日暮れには閉めるんだろう」
「うん」
「そういう店は詳しくないんだ。昼間はあまり出歩いてないからな。仕事がある」
「へぇ、真面目に仕事してるんだ」
これまた、他の者が聞いていたら、叱責の声が上がりそうな言葉だった。しかし、エレスサールは屈託なく笑った。
「いちおう国王だからな」
「陛下。“いちおう”では困ります」
「こういう怖いお目付役もいる」
ファラミアの意見に、王は二人のホビットに片目を瞑って見せた。
「じゃあさ、今から行こうよ。お茶もお菓子も絶品なんだ」
「ピピン。今、お茶飲んでるだろ」
王を城外へ誘う言葉は、さすがにまずいと思ったのだろう。メリーが咎める声を発した。
「いいじゃないか。ここのもおいしいけど、あっちもおいしいんだから」
ホビットらしい言葉に、ファラミアも窘める気を削がれ、苦笑した。ピピンの言動に慣れているのか、エレスサールはいたって普通に答えた。
「今からは……無理だな。この後、会議がある」
「なんだ。残念」
「ピピン……」
メリーが額を押さえたが、ピピンは気にしたふうもなく、ただ出かけられないことを淋しそうに呟いた。
「馳夫さんがどんなカップを出されるか、見てみたかったのに」
——それは、確かに見たいかもしれない。
だからといって「どうぞ、いってらっしゃいませ」と送り出すわけにはいかない。ペレグリン殿には諦めてもらおう。
「そういう君たちは、どんなカップだったんだ?」
残念だと黙ってしまったピピンに、エレスサールが訊いた。途端に、小さき騎士の顔が明るくなった。
「あ、僕のは——」
◆◇◆◇◆◇◆
会議の後、執務室に引き取るエレスサールから、お茶を飲んでいかないかと誘われた。保留になった議題の打ち合わせも兼ねている。ファラミアは資料を運ぶよう部下に言いつけ、同行した。
「メリーとピピンは明日、エミン・アルネンに行くんだって?」
「ええ。エオウィンの招待です。久しぶりに彼らとゆっくり話したいと」
「そうか。二人はエドラスに立ち寄ってきたそうだから、会うのが楽しみだろう。イシリアンもしばらく賑やかになるな」
「はい」
侍従が湯を運んできた。さて、どの茶器にしようかと、ファラミアが戸棚を開けると、隣からエレスサールが顔を出した。
「あの二人が話していた店は、客にカップを選んで出すんだったな」
「そうでしたね」
「わたしも選んでみようか」
王は白磁に緑の柄が入ったカップとソーサーを取り上げた。それは木の葉をモチーフにした柄だった。構図は大胆だが、濃淡のあるやわらかな色合いが、やさしい筆づかいで描かれている。薄い磁器の緩やかな形状と相まって、優美な上品さを感じた。新しいものなのだろう、初めて見るカップだった。
「これは、美しいですね」
「気に入ってくれたかな」
「ええ」
「よかった。白き杖を持ち、緑のイシリアンに住う執政殿に」
そう言って、エレスサールはファラミアにカップを差し出した。
「わたしに……?」
「本当は、件(くだん)の店で執政殿に何が選ばれるのか見てみたいが、当分無理そうだからな。間に合わせだ。でも、悪くないだろう」
——悪いわけがない。
差し出されたカップを、ファラミアは捧げ持つように受け取った。
END