(前編)(後編)
Friend or enemy?(後編)
「お客様がお待ちです」
財務の高官との夕食を終えて執務室に戻ると、控えの間にいた部下が立ち上がった。
「エルダリオン様です」
「いつから?」
「少し前です」
ファラミアは頷いて部屋に入った。机の手前に置かれた長椅子にエルダリオンが座っていた。脇に侍従が控えていたが、ファラミアの姿を見ると一礼して控えの間に出ていった。
「どうなさいました、殿下。ご用でしたら、お呼びくださればお伺いいたしますよ」
ファラミアは笑みを浮かべ、エルダリオンの向かいに腰を下ろした。ふぅっとエルダリオンが息を吐いた。
「昼間、弓を引いたのに?」
その物言いにファラミアは小さく吹き出した。
「おかしいか?」
硬い声に笑いを収める。
「いえ、すっかり嫌われてしまいましたね」
最近、父王の真似事をするようになった以外、利発で臣下の言葉にも耳を傾ける素直な王子である。が、幼い頃から父親が絡むと頑なになる傾向があった。そんな王子の眼前で父王に向かって弓を引いたのだから、風当たりが強くなるのは致し方ない。昼間も散々噛みつかれた。
「父は嫌ってないみたいだ」
「それは陛下に感謝せねばなりませんね」
さすがに矢を射かければ何らかの咎めがあると覚悟していた。だが、何事も型破りな王は残念そうな顔で「穴が空いた」と、矢が突き立って破れた袖を示しただけだった。その処置もエルダリオンの不機嫌さに拍車をかけたことは明白だ。
「なぜだ?」
エルダリオンに睨みつけられるように訊かれ、ファラミアは首を傾げた。
「なぜ、とは?」
「父上は矢で狙われていても、当てられるとは考えなかったと言った。ファラミアがそんなことするはずがない。だから身動きしなければ外してくれると——。ファラミアも父がそう考えるとわかっていたのか? わかっていたなら、それはなぜだ?」
「わかっていたわけではありませんが……」
答えながらファラミアは驚いていた。狙いを付けたとき、エレスサールが動きを止めたのはわかった。だが、それは臣下に弓矢を向けられた驚愕からだと思っていた。当てるわけにはいかないので、止まってくれたことは大いに助かったのだが、まさかそういう思惑だったとは……。道理で何の咎めもないわけだ。
「そこまで信頼していただけたことは臣下としてこの上ない幸せです。ですが、なぜかということはわたしにはわかりかねます。陛下にお尋ねになってはいかがですか?」
「訊いたよ」
エルダリオンはぶっきらぼうに言った。
「陛下はなんと?」
「ファラミアと同じだった。——なぜだろう」
ファラミアは目をしばたたき、それからくすくすと笑った。
「陛下らしいお言葉ですね」
「それは、なぜかわかったということ?」
エルダリオンが身を乗り出す。ファラミアは「いいえ」と首を振った。
「ただ、殺気がなかったというのはあると思います」
「父上も同じことを言っていた。殺気がなかったからと……」
エルダリオンは大きな息を吐いた。
「気が合うんだな」
「そんなことはございませんよ」
ファラミアは軽く首を振った。
「長くお仕えしておりますが、陛下のお考えには驚かされてばかりです」
たった今も驚いたばかりだ。
「けれど、父は誰より信頼している。どんなときでも味方であり、敵になり得ない存在だと——」
王子はどことなく淋しそうに呟いた。
「陛下はそれほど甘い方ではありませんよ」
そう、甘くない。過ぎるほどに寛容だが、選択は間違わない人だ。
「そうかな」
「ええ。わたしが敵になり得ないのは確かですけどね。陛下に対抗できる力はありませんから」
「そうか?」
素で訊き返され、ファラミアは危うく吹き出しそうになった。どれだけ微妙なことを問いかけているのかわかっていない。こういうところは父親似かもしれない。
「殿下。仮に対抗できるだけの力を持っていたとしても、そうだと答える者はおりませんよ」
猜疑心の強い主君を戴いていたら、対抗できる力を持っていると口にした途端、首と胴が泣き別れになる。そんな危険な言葉を発する者はいない。幸いにして、エレスサールに仕えるのにそういう心配は無用だが、これは例外中の例外だろう。
「わたしの場合は真実、対抗できる力は持っておりませんから、言葉どおり“なり得ません”けれど」
エルダリオンは首を傾げて聞いていたが、やがてまっすぐにファラミアを見つめて言った。
「つまり……、ファラミアにとって、父は生きていたほうがいい王だということか?」
直球である。こういうところは果たして、父親似か母親似か……。エレスサールが時にあけすけな物言いをすることは近しい者の知るところだが、夕星の王妃も率直な訊き方をすることがあるのだ。どちらか片方の性質を引き継いだというより、相乗効果と言うべきか。これは将来……、
——エルボロンたちは苦労するかもしれないな。
見ることは叶わぬだろう次代の宮廷に思いを馳せながら、ファラミアは答えた。
「生きていただかなければならない、ですよ」
エルダリオンは何も言わず、にこりと笑った。
「さあ、もうお戻りになったほうがいいですよ」
ファラミアはエルダリオンを促して立ち上がった。
「殿下を長くお引き留めしたと、わたしが侍従たちに叱られてしまう」
「逆だよ。執政閣下の仕事を邪魔したと、こっちが叱られる」
そう言ったエルダリオンの顔からは、昼間の一件以来あった硬い表情が消えていた。
「ありがとう。話を聞いてくれて」
「どういたしまして」
控えの間へ送り出すと、侍従の他に近衛兵が一人待機していた。
「お迎えに参りました」
近衛隊長の指示なのだろう。エルダリオンは少々うんざりした顔をしたが、文句を言うことなく二人を促し、扉を出ていった。ファラミアは三人を見送ると、控えの間に残っている部下に声をかけた。
「残ってもらって悪かったな。今日はもういいぞ。ここの火の始末だけ頼む」
「閣下は?」
「わたしは残るよ。調べたいことがある」
「お手伝いいたします」
熱心な部下の申し出にファラミアは苦笑した。
「いや、帰ったほうがいい。あまり遅くなると物騒だ」
ミナス・ティリスは王都であり、門で仕切られた環状区という構造上、比較的治安は良いが、それでも犯罪は皆無ではない。騎士でも夜盗に襲われた例は少なくない。油断は禁物だ。
「閣下はお帰りは……どうなさるのです?」
「心配するな。仮眠室がある」
「では、わたしも——」
残ります、と言いかける部下をファラミアは止めた。
「いいか。仮眠室はあるが、寝台はひとつだ。わたしはお前と添い寝など真っ平だぞ」
「そ、そんな、わたしも閣下と添い寝など……、そんな恐ろしい……」
——恐ろしいとはなんだ……。
焦って叫んだ部下の言葉に少々憮然としたが、口に出すのは止めた。
「だったら、さっさと帰って意中の相手に申し込んで来い」
この男はどこかの宿屋の娘にぞっこんだと、部下の間で噂になっている。案の定というべきか、男は見る間に赤くなり——、
「は、はいっ、失礼します!」
勢い良く飛び出していってしまった。
「火の始末はしていけと言ったのだが……」
開け放たれたままになった扉を閉め、ファラミアは燭台の灯を吹き消した。さて、と執務室の扉を開け——、
ファラミアは扉を閉めたくなった。
「仕事熱心な部下がいるんだな」
先程までエルダリオンが座っていた長椅子に腰を下ろし、財務の官吏から受け取った資料を読んでいるのは、かの王子の父親だった。
「そして、執政閣下は部下一人一人の個人的な事情にも詳しい」
ひとつ息を吐いて、ファラミアは部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。
「詳しいわけではありませんよ。ああしたことは自然と耳に入ってくるものです」
「地獄耳で千里眼というわけだ」
「とんでもありません」
戸棚から火酒の瓶と杯を取り出す。
「もしそうならどれだけ良いか。あなたの行動も予測できるのですから。陛下」
「今日は予測していたようだが」
資料を見ていた目がちらりとファラミアに向いた。
「偶然ですよ」
杯に琥珀色の液体を注いで渡すと、エレスサールは目を細めた。
「いい香りだな」
「ええ。これはエルダリオン様が生まれた年のものです」
そう告げると、エレスサールは穏やかに目を伏せた。
「そうか」
「いつから、こちらに?」
「エルダリオンが帰る頃だよ。あなたを責めるなと言ったのだが、無理だったようだな」
苦笑する主君に、ファラミアは軽く首を振った。
「父親に矢を射かけられては黙っていられないでしょう。それに咎めにいらっしゃったのではありませんよ。陛下は、わたしに矢を当てられるとは考えなかったそうですね」
「ああ」
「それはなぜなんだと、訊きにいらっしゃいました」
「それで、あなたはなんと?」
「わかりかねます、と。陛下にお尋ねになってはと申し上げたら、なぜだろうというお答えだったとおっしゃっていました」
エレスサールは額を押さえて苦笑した。その表情に「言えない答え」の存在を感じ取り、ファラミアは訊いた。
「わたしも知りたいですね。陛下はなぜ、矢が当たることはないとお考えになったのか」
エレスサールはあらぬ方向に目を寄せ、低く呻っていたが、おもむろに杯を置くと、指でファラミアを招いた。何事かと思って身を乗り出すと、耳に密やかな声が流れ込んできた。
「…………」
ファラミアはその内容に目を見開き、すっと離れていく彼の腕をつかんだ。青灰色の瞳の中で灯が揺らぐ。
「よろしいのですか? そのようなことをおっしゃって」
ファラミアは逃げようとする腕を引いた。
「図に乗りますよ」
「図に乗られるのは困るが……」
エレスサールは苦笑と照れ笑いが混ざったような笑みを浮かべた。
「自惚れるなとは言わないんだな」
言うわけがないではないか、そんなこと。思い浮かべもしないのだから。
「そのようなご心配、なさらぬようにして差し上げましょう」
ファラミアはエレスサールの腕をたぐり寄せ、自身も後ろへ倒れ込むように引いた。
「うわっ!」
叫び声とともにエレスサールの身体が卓上に乗り上げた。弾みで杯が転がったが、ファラミアは気にせず、ぐらつく主君の身を抱き取った。
「……調べものがあるんじゃなかったのか」
腕の中から上がった声に、ファラミアは微笑んで答えた。
「こちらが先です」
「いや、後にしてくれて構わな……」
彼の反論を物理的に封じながら、ファラミアは先刻の王子との会話を思い出した。
——敵になり得ない存在……。
そうではない。自分は敵になることなど考えたこともない。それはこの先も変わらないだろう。愛おしい者が漏らす甘い吐息を聞きながら、ファラミアは淡く微笑んだ。
END
<前編
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございますm(_ _)m
王が執政に囁いた「…………」にはお好きな言葉を入れてお楽しみください。<放棄か
王が執政に囁いた「…………」にはお好きな言葉を入れてお楽しみください。<放棄か