Gift【Brooch】 【Paper weight】 【Holiday】
Gift【Holiday】
エルダリオンが執政の執務室を訪ねたとき、部屋の主は留守だった。
「ファラミアは?」
「司書にお話があると、書庫へお出かけです」
書記官の答えにエルダリオンは小さな笑みを漏らした。主君のことを身軽に動き過ぎると眉を顰める執政だが、そんな彼も自分で動くことが少なくない。人手が足りないときや、自身で話したほうが早いときなどは率先して動く。本人に言わせると、
——臨機応変というものです。
だそうで、
——陛下のように何から何まで動いているわけではありません。
と違いを強調していたが、あまり違いはないとエルダリオンは思っている。妙なところが似ている主従だ。
「お約束でしたか?」
「いや。書類を届けにきただけだ」
昨年までの五、六年、エルダリオンは北方の地で暮らしていた。その間、ミナス・ティリスに戻るどころか、文もロクに書かなかった。王である父は帰還の強制をしなかったが、他の者は父ほど気が長くなかった。結果、エルダリオンは白き塔の下に戻り、政務の手伝いをするようになった。他の土地も見たいというエルダリオンの希望はしばらく棚上げだ。
政務に手を貸すといっても、自分は文官の経験はない。見習いから始まるのかと思ったが、
——王都で王太子を見習い扱いには出来ませんよ。
ファラミアのひと言で国王と執政の補佐に決まってしまった。素性を誤魔化せる北方の地とはわけが違うということらしい。けれど、表立った仕事は任されていない。資料を揃えたり、書類を仕分けたりといった裏方仕事が多い。
ただし、内々の打ち合わせには同席している。簡単な用件は父に意見を聞いておき、それを執政と話すこともある。書記官が約束の有無を訊いたのもそのせいだ。
「明日の朝議の資料は揃っているか?」
持ってきた書類を渡しながら訊くと、書記官は「はい」と頷き、執政の執務机へ向かった。エルダリオンが渡した書類を置き、脇机から取り上げた箱を開いた。
「こちらです」
彼が箱の中から綴りを取り出したとき、机上の物が押されでもしたのか、何かが机の端から落ちた。青く輝く光が目に映った瞬間、エルダリオンは机の脇に滑り込んでいた。手のひらに硬い感触を感じたとき——、
「気をつけてくれ」
鋭い声が飛んだ。声の方向に目を遣ると、部屋の入り口に執政ファラミアの姿があった。
「申し訳ありません」
頭を下げた書記官にファラミアは軽く頷くと、座り込んでいるエルダリオンの傍に膝を付いた。
「殿下、大丈夫ですか?」
「ああ」
エルダリオンは手の中の物を見た。淡い青色の石が澄んだ輝きを放つペーパーウェイト。手に取って見たことはなかったが、ここを訪れては何度か目にしていた。
暗い色の多い筆記具と無味乾燥な書類が並ぶ机上で、青い石は一服の清涼剤のような潤いがあった。この怜悧な男にもこういった物が必要なのかと、少々意外に思ったものだ。けれど——、
単なる清涼剤ではないのかもしれない。間近に見て、初めて台座に刻まれた文字に気づいた。
「割れずに済んでよかった」
立ち上がりながら、エルダリオンは青い石を返した。
「ありがとうございます」
受け取った手は大切な物を扱うように、そっと青い石を包んだ。
「それ、父上からの?」
台座に刻まれていたのは父の名前だった。名はもうひとつあり——、
「ええ。陛下とエルボロンから贈られた物です」
執政は誇らしげに笑った。
「変わった組み合わせだな」
エルボロンはファラミアの息子で、現在、白の塔の大将を務めている。父の信頼は厚いが、二人でファラミアへの贈り物を相談している姿はちょっと想像がつかない。
「そうですね」
エルダリオンの言わんとしていることを察したのか、執政はくすりと笑った。
「これを贈られたのはまだ殿下がお生まれになる前……、エルボロンが子供だった頃の話ですよ」
「そんな昔の……?」
「ええ。わたしの宝ですよ」
執政はやわらかな笑みを浮かべて頷いた。青い石は青玉だろう。色の薄さからして価値ある石とは言えなさそうだが、それでも人の気を惹く輝きがあり、装飾品としては悪くない。巷では憎からず想う娘の気を惹くために、こうした装飾品を贈ることも珍しくないと聞く。
しかし、男の子が父親への贈り物に選ぶ物としては変わっている。エルダリオンが首を捻っていると、「殿下」と執政が呼んだ。
「お時間があれば、お茶でもいかがですか?」
どうやら、石にまつわる話を聞かせてくれるらしい。エルダリオンは頷いた。
◆◇◆◇◆◇◆
白の都に眩しい陽射しが降りそそぐ。まだ午前だというのに、木々の間から覗く太陽の位置は高い。エルダリオンは目を細め、夏が近いことを実感した。それでも、第六環状区という高層に位置する、執政館の中庭を吹く風は涼しい。待ち人はまだ来ていないようだとテラスの椅子に目を遣ったとき、細身の人影が回廊に現れた。
「エルダリオン。どうして、お前がここに……」
案の定、相手は驚いた。けれど、すぐに事情を飲み込んだらしい。
「ようするに、お前の呼び出しか……」
「当たり」
エルダリオンはにこりと笑った。しかし、父エレスサールは胡散臭そうに眉を顰めた。
「いったい、ファラミアとどんな取り引きをした?」
執政の性格を把握している台詞だった。付き合いが長いだけあると感心しつつ、けれど、今回ばかりはその心配はないとエルダリオンは笑った。
「してないよ。たまには親孝行したいと情に訴えたんだ。それで折れてくれた」
「嘘を吐くな。あの男が情にほだされるわけがない」
よくわかってると思うが、さすがにここまで言われるとファラミアが気の毒になった。
「そこまで右腕を疑うわけ?」
「違う。情にほだされないと信じているだけだ」
きっぱりと言われて、エルダリオンはぽかんと口を開けた。
——それは「信じる」と言うのか……。
いったいどういう信頼関係なのか、幼い頃から二人のやり取りを見聞きしているが、未だに謎が多い。ひとつだけはっきりしているのは、ゴンドールの頂点に立つ二人は変わり者ということだ。
「とりあえず、今回に関しては取り引きは無いよ」
そう、取り引きは無い。多忙な父親に休日を贈りたいから協力してくれと頼んだだけだ。青玉のペーパーウェイトの話を聞いた翌日に頼んだから、何が動機かわかったのだろう。執政は仕方ないと笑い、承諾してくれた。
——護衛はどうなさいます?
——自分でするよ。
五、六年前なら眉をつり上げて反対されただろう。しかし、北方の地で兵士を務めた実績のある今は、外出を頭ごなしに禁じられることはない。城内ならば一人歩きを咎められることもなくなった。それ以外の場所へは供を連れていくよう言われているが、今回は自分がお供だ。
——つまり、殿下もご一緒にお出かけになりたいわけですね。
ファラミアは感心しないというようにため息を吐いたが、反対する気はなさそうだった。それでも、やはり護衛は必要だと言われるかと思い、エルダリオンは訊いた。
——駄目か?
——お二人揃ってなると“こっそり”抜け出るのは難しいでしょうから……。
思案顔になった執政はしばしの沈黙の後、策を授けてくれた。
——殿下は明日、朝議の終わる頃、執政館でお待ちください。門を通る用事は適当につくります。
——父上は?
——朝議の際、陛下に耳打ちいたします。お見せしたいものがあるから密かにおいでください——とでも申し上げれば、きちんと抜け出してくださるでしょう。
なるほど、執政の言葉どおり、きちんと抜け出してきたわけだと、エルダリオンは改めて父親を見た。これも執政から主君に対する、信頼のひとつなのだろうか。我が王は誰にも見つかることなく城を出られるのですよ、と……。
——自慢にならないだろう……。
やっぱり変な信頼関係だと息を吐いていると、隣から声がかかった。
「で、親孝行って、何をしてくれるんだ?」
「多忙な父へ休日の贈り物——というわけなんだけど、どうかな? 護衛は目の前にいる一人きり」
「なるほど、そういうことか」
執政がなぜ協力したのかわかったのか、父は腑に落ちた顔で頷いた。
「では、案内を頼もうか」
「仰せのままに」
気取った仕草で父の左手を取り、指輪に軽く唇を触れる。父はくすぐったそうな笑みをこぼした。
「どこでそんな真似を覚えてきた」
「式典」
新任の領主が挨拶に訪れた際、改めて忠誠を誓う。その姿は何度か目にしている。
「やってみたかったんだ」
「お前はやる必要がないだろう。妙なことを真似したがるんだな」
父は呆れたように笑ったが、悪い気はしていなさそうだった。それにエルダリオンは満足し、促すように踵を返した。途端、真剣味のある声が呼んだ。
「エルダリオン」
振り返えると間近に父の顔があった。
「休日をありがとう」
少し掠れた囁き声が耳に流れ込む。こめかみにやわらかな感触があった。見返せば、やさしい青灰色の眼差しが見つめてくる。その口許に浮かんだ笑みに思わず見惚れた。
「行くぞ」
ぽん、と肩を叩かれて我に返る。足早に歩き出す人を慌てて追いかけた。
——敵わないな……。
ひょっとすると、大国を支える王の条件というのは、武勇に秀でていることでも、明晰な頭脳を持つことでもなく、今のような芸当を意識せずにやってのけることかも……。父を見ているとそんな気分になってくる。それはちょっと……、
——難しい。
自分にあんな芸当は出来ない。
「どうした?」
考え込んでいると訝しむ声がかかった。
「あ、いや……どこに行こうかと……」
とっさに誤魔化しの返事をすると、父は考えるように首を傾げた。
「そうだな……。久しぶりに書物を見たいな。掘り出し物の古書があるかもしれない」
書物なら城の書庫にたっぷりあると思うのだが、父に言わせると巷間にある物のほうが時々の世情がわかって面白いのだそうだ。また、書庫にある物でも写本の年代によって記述の違いがあり、それを比較するのも楽しいらしい。
「あと古着屋にも寄りたい」
「古着って……」
着る物に不自由していない父が古着を求める理由はただひとつ——、
脱走だ。
微行には着古した衣服のほうが都合がいい。絶句したエルダリオンに、父はわかっているだろうと言うように片目を瞑った。まったく……、
——これだから敵わない。
エルダリオンは笑い、今日は自分も休日を楽しむことに決めた。古着屋で自分の分も見立ててもらうのも悪くない。
「じゃあ、書物のあとに古着屋と……。他には?」
「昼飯だな」
「お勧めの店?」
ミナス・ティリスのことなら父のほうが詳しいだろうと思って聞いたが、返ってきたのは「任せる」という声だった。まあ、いいだろう。自分も知らないわけじゃない。
「了解」
エルダリオンは父親を促し、執政館の裏口を抜けた。思い出深い休日の予感とともに——。
END
石の国の王への王太子からの贈りもの話は、誠に勝手ながら殿下の帰還後設定で進めてみました。贈りものは“物”ではなく“お休みの日”。ご子息自身もちゃっかり楽しむようですが、ひょっとすると、このおとーさんはそんなご子息の姿を目にするのが一番うれしいのかもしれません。
一連の話で少々扱いを考えたのが“ペーパーウェイト”の呼称でした。サファイアを“青玉”と漢字表記にしたからには、ペーパーウェイトもと思ったのですが、そうすると
——文鎮
になるんですよね……。なんかこう……書きぞめの気分になります(^^;)青い石に銀色の台座が付いた、執政閣下の机上に相応しい装飾品にもなりうる物——というイメージから(個人的に)“文鎮”はほど遠い……。
他の表現はないかと考えたのですが、重石(漬け物か)とか錘(分銅かい)とか……、ボキャブラリーの貧困な頭にこれぞという表現が浮かぶはずもなく、“ペーパーウェイト”と表記する結果となりました。ブローチはカタカナでいいか、と思ったのですけどね(^^;)
さて、これで馬司父子→執政家→白の木の王家と、ゆる〜い感じで続いてきた話も完結です。お付き合いいただきありがとうございました。
一連の話で少々扱いを考えたのが“ペーパーウェイト”の呼称でした。サファイアを“青玉”と漢字表記にしたからには、ペーパーウェイトもと思ったのですが、そうすると
——文鎮
になるんですよね……。なんかこう……書きぞめの気分になります(^^;)青い石に銀色の台座が付いた、執政閣下の机上に相応しい装飾品にもなりうる物——というイメージから(個人的に)“文鎮”はほど遠い……。
他の表現はないかと考えたのですが、重石(漬け物か)とか錘(分銅かい)とか……、ボキャブラリーの貧困な頭にこれぞという表現が浮かぶはずもなく、“ペーパーウェイト”と表記する結果となりました。ブローチはカタカナでいいか、と思ったのですけどね(^^;)
さて、これで馬司父子→執政家→白の木の王家と、ゆる〜い感じで続いてきた話も完結です。お付き合いいただきありがとうございました。