Gift【Brooch】 【Paper weight】 【Holiday】

Gift【Paper weight】
木々を鮮やかに彩っていた葉が、大地に錦を描くようになった秋の終わり、イシリアン公ファラミアはエミン・アルネンの館に遠来の客を迎えた。今年、遠征に協力のあったローハンの王、義兄でもあるエオメルとその家族だ。
「見事な細工ですね」
客人の襟元には精緻な細工のブローチがあった。翼ある馬が飛翔する姿が刻まれたそれは、馬の司の国の主を飾るに相応しい意匠と言えた。
「エルフヴィネが贈ってくれました」
エオメルは相好を崩した。
「エルフヴィネ殿が?」
ファラミアは少なからず驚いた。エオメルの子息エルフヴィネは、息子のエルボロンとさほど年の変わらない、まだ、あどけなさの残る少年だ。
「ええ。わたしの武勇と無事を願ってだとか……。子供というのは、親の知らぬ間に大人びた真似を覚えるようで——」
エオメルは目を細めた。
「わたしも歳を取るわけだ」
そう言いながら笑った顔は誇らしげでもあった。出会った頃は若々しい青年だったが、今や風格を備えた草原の王である。一昨日など、こちらの老け方が遅いのをいいことに、「ようやく公を“義弟”と思えるようになった」と言われてしまった。
もっとも、ファラミアも黙ってはいない。「わたしは未だに“義兄上”とお呼びするには違和感が残ります」と、きちんと返しておいた。失敗だったのは……、
——ファラミア……。
いつの間にか、傍に来ていた主君に聞かれたことだった。
「エルフヴィネ殿は素直にお育ちですね」
「少々頑なな面もあるが——」
そんなことを話していると、二組の軽い足音が聞こえてきた。しばらくして——、
「父上、ただいま戻りました」
エルボロンとローハンの王太子エルフヴィネの姿が現れた。今回、エルフヴィネを初めてゴンドールに迎えた。もちろん、エミン・アルネンに迎えるのも初めてだ。エオメルの希望もあって館の周囲を案内することになったのだが、その役をエルボロンに任せてみた。といっても、護衛をしっかり付けての話だが、息子ははりきって出かけていった。
「お帰り。きちんとご案内できたか?」
「はい。それと、夕食に鴨が増えました」
エルボロンの答えにファラミアは吹き出しそうになった。
「おや、もう狩りを?」
エオメルが尋ねた。その声に重なるようにエルフヴィネが言う。
「そうです。父上。エルボロン殿は弓が上手で、それは狩りをしているからだって——」
悔しそうな声の調子に、もしやと思いファラミアは訊いた。
「エルフヴィネ殿は狩りはまだ……?」
「はい。父がまだ早いと言って許してくれません」
硬い声が返ってきた。その横でエオメルが困ったように息を吐いた。
「ローハンの狩りは騎乗して行うので……」
——なるほどな。
騎馬に跨がって行うとなると、乗馬も弓も相当な修練が必要だ。子供には厳しい。しかも、王太子となれば“失敗”は許されない。これは戦でも同じで、嫡子は初陣で武勲を立てることが前提となる。総領息子にはその手の暗黙の了解が付きものだ。エオメルが慎重になるのも無理はない。
「馬に乗ってとなると、難しいでしょう」
ファラミアが言うと、脇からエルボロンがかばうように口を出した。
「でも、父上。エルフヴィネ殿は馬の扱いがとても上手です」
馬の司の跡継ぎなのだから、扱いに長けていて当たり前——とも言えるが、ファラミアは黙って息子の言葉に頷き、エルフヴィネに話しかけた。
「それなら、狩りもそんなに遠い日ではないかもしれませんね」
横に立つエオメルの顔に、焚きつけてくれるなと言いたげな表情が浮かんだ。それに心配ないと目顔で応じ、ファラミアはひとつの提案をした。
「いかがでしょう。ゴンドールでは馬に乗らない狩りも行います。ご興味があれば、明日ご案内しますよ」
エルフヴィネの顔がぱあっと輝いた。期待に満ちた目でエオメルを見上げる。
「イシリアン公のご好意を無駄にしてはならんな」
エオメルは笑ってエルフヴィネの頭をくしゃりと撫で、ファラミアのほうを向いた。
「わたしも同行してよろしいか」
「もちろん」
「じゃあ、明日の夕食は僕が捕ります」
エルフヴィネがはしゃいだ声を上げる。
「それは楽しみだ」
エオメルが笑って王子の肩に手を置いた。微笑ましい父子の姿——だが、ファラミアは、エオメルを見上げる王子の目に気になる光を見た。
「殿下」
エルフヴィネの目の高さに身を屈める。
——自分の勘は当たっている……たぶん。
「焦ることはありませんよ」
この王子は父親に認められたいのだ。エオメルの愛情が足りないわけではないだろう。ただ、宮廷というのは特殊な環境だ。そこで育つ子供は、物事を測る尺度が子供でなくなることがある。ひょっとすると、エオメルの周囲に居る側近並みの働きがしたい──それくらいに思っているのかもしれない。
「聞けば、お父上のブローチは殿下が贈られたとか。そのお心が大切なのです」
「はい」
素直な返事があった。ローハンは次代も善き王を戴くだろう。ファラミアは微笑んで立ち上がった。けれど——、
このときの言葉が我が子に与える影響については、思いが及ばなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
ローハン王とその家族がドル・アムロスへ旅立ってから数日後の夕刻、馬の稽古に出ていたはずのエルボロンが書斎へ駆け込んできた。
「父上、陛下をお連れしました」
ちょっと待て、そんな予定は聞いていない——なんてことは、ファラミアの主君には通用しない。程なくして、すらりとした黒衣の騎士が現れた。即位からどれだけ時を経ようと、単身で出歩くことを止められない変わり者の国王、エレスサールだ。
「エルボロンと行き会ったので伴走を頼んだ。ご子息を使ってすまないな」
「構いませんよ」
ファラミアは立ち上がった。
「エルボロン、エオウィンに報せてくれ」
「はい」
エルボロンの足音が遠ざかってから、ファラミアは扉を閉めた。
「陛下。お一人で出歩かぬよう、いったい何度お話しすればおわかりになるのですか」
エレスサールに向き直ると、彼は小さく首をすぼめた。
「お運びいただかぬとも、お呼びくだされば駆けつけると申し上げたはずですが。軽々しく城を空けるのは感心しかねます。陛下が動くほどの大事がミナス・ティリスでありましたか?」
にこりと笑って問いかければ、青灰色の瞳があらぬ方向へ逸らされる。
「それと、こちらへお越しのことは、侍従長や近衛隊長はご存じでしょうね」
「……侍従長と近衛隊長には断ってきたよ」
ため息交じりの答えが返ってきた。声には勘弁してくれという響きが滲んでいたが、ファラミアは容赦しない。
「さようでございますか。それで、陛下自らお越しになるほどの火急の用はなんでしょうか」
「……特にない」
観念したかようにエレスサールは息を吐いた。しかし——、
「強いて言えば、顔が見たくなった——それだけだ」
続いた言葉にファラミアは己の気持ちを引き締めた。こういうことをさらりと言うのだから……、
——タチが悪い。
遠征から戻って以降、エレスサールは執務に忙殺され典礼に追われ、ほとんど城外へ出られない日が続いていた。庶民に交じってエールを飲んだり、遠乗りに出かけたりを気晴らしとする彼には、さぞかし息の詰まる日々だっただろう。
そんな多忙な日々も、隣国の国王一家をミナス・ティリスから無事送り出したことで一段落ついた。外へ出たくて仕方なかったに違いない主君が出歩くことは予想していた。
しかし、即位してずいぶん経つ。いくら前歴が野伏とはいえ、王という立場に慣れてきたようだから、街に出かける程度だと思っていた。まさか、街を出てくるとは……、自分の読みもまだまだである。
それでも、周囲が頷かなければエレスサールは——執務室を抜け出すことはあっても——都を出ることはしない。そのために出先がイシリアン領エミン・アルネンなのだろう。エレスサールの所行に一番厳しいのがイシリアン公だと、城の誰もが知っている。侍従長をはじめとする側近たちが「エミン・アルネンならば……」と頷くからだ。
「わたしの顔をご覧になりたいとは、うれしいことをおっしゃいますね。それほどまでに恋しく思っていただけるとは光栄の至りです。今度、肖像画をお贈りしましょうか。思う存分眺めていただけますよ。なんでしたら、寝台の脇に飾るようにしましょうか」
「……わたしは絵と添い寝する趣味はない」
エレスサールが憮然として言った。
「ずいぶん機嫌が悪いな。そんなに城を出てきたことが気に入らないか」
気に入らないのではない。実のところ、エレスサールが二、三日、ミナス・ティリスを留守にしても、国政がどうこうなるわけではない。変わり者の主君だが、執務に障りが出るような真似はしない。その点は信頼している。
だが、政に支障が出なければ何をしてもいいというものではない。本来、国王が気軽に出歩くなど、あってはならないのだ。この王に自重してもらうには、その都度きつめに叱っておくぐらいでちょうどいい。
「ええ、それはもう……。次に登城した折りには、遠乗りをご提案しようと思っておりましたが——」
ファラミアはたった今思いついた提案を惜しむように言った。
「しばらく執務室にこもっていただくことになりそうですね」
うっとエレスサールが声を詰まらせる。
「その際、先日、手を入れた離宮にご案内しようと考えておりましたが、繰り延べにいたしましょう」
「ファラミア……」
潤んだ青灰色の目が許しを乞う色を浮かべたが、ファラミアは首を振った。
「残念です」
がくりと項垂れた主君の姿に、ファラミアはひっそりと笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆◇◆
主君をミナス・ティリスへ帰してから十日後の夕刻、ファラミア自身が白き都の門をくぐった。自分の執務室で緊急の用件がないことを確認し、登城の挨拶のために王の執務室を訪ねた。
「やあ」
ファラミアが入っていくと、主君はうれしそうに顔を上げた。
「約束どおり、城でおとなしくしていたぞ」
十日前、執政殿の次の登城までおとなしくしているから、機嫌を直してくれと言われた。機嫌など——、
悪くなってもいなかった。
理由はどうあれ、主君は出先にエミン・アルネンを選んでくれた。アンドゥインの東岸にいながら、彼の顔を見て声を聞いた。それを喜ぶ心は自覚していた。けれど、うれしいからといって、主君の行動を容認してしまっては、何のための執政官だかわからなくなる。
「だから、ファラミア……」
エレスサールは立ち上がり、褒美をねだる子供のように首を傾げた。遠乗りの予定を入れてくれ、とでも言うのだろう。齢百歳を超えた大国の王の態度ではない。もっとも、彼がこんな子供染みた面を見せる相手は限られている。その一人になっていることに密かな喜びを感じるのだから、
——卑しいものだな。
胸の内で自嘲しながら、ファラミアは主君に向き直った。
「お言葉ですが陛下、王は城に在って当然なのです。当たり前のことを自慢なさるとは、陛下はいつからそのような図々しいお人柄になられたのでしょうか」
「たった今」
エレスサールがしれっとした言った。どうやら、遠乗りや他出の要請が聞き届けられるとは本気で考えていないようだ。つまりは、
——からかわれた……ということか。
ファラミアは小さく息を吐いた。すると、「からかったつもりはないんだが——」と、こちらの思考を読んだかのようにエレスサールが言った。
「あなたの機嫌はいかがなものかと気になってね……反応を見させてもらった。試すようなことをしてすまない」
話しながら、エレスサールは暖炉の前の長椅子を示した。
「わたしの機嫌がそんなに気になりますか?」
長椅子に腰を下ろしながら、ファラミアは首を捻った。主君の行状に厳しい自覚はあるが、ここまで機嫌を気にされるのは珍しい。
「渡したい物……いや、渡すように預かった物があるんだが、気に入ってもらえるかどうか……。たぶん、気に入ってくれると思うんだが、さすがに絶対の自信はない」
エレスサールは考えるように言ってから、真剣な表情で向き直った。
「ひとつ約束してくれないか?」
「何をです?」
「これから渡す物に関して、ご子息を叱らないと」
「エルボロンを?」
息子のことが出てくるとは思いもしなかった。いったいどういうわけか……、ファラミアは素早く思考を巡らせた。
「つまり……、エルボロンに係わりのある……いえ、エルボロンが、陛下からわたしに渡すように頼んだということですか」
「そうではない。わたしが提案して引き受けたんだ」
エレスサールがかばうように否定する。
「だとしても、それは陛下が間に立たなければ、わたしが叱るようなこと——そういうわけですね」
「一概にそうとは言えない。ただ——」
「お約束できません」
宥めようとする主君の言葉を、ファラミアは遮った。
「ファラミア……」
困惑の呟きを漏らすエレスサールの表情に気持ちが揺らぐ。けれど、これは曲げられないことだ。ファラミアはまっすぐにエレスサールを見た。
「わたしの判断が間違いならともかく、子の過ちは叱るのが親の責任です。たとえ——」
続きを口にするのに躊躇い、ファラミアは息を吸った。
「あなたの言葉に……背いても、歪めたくありません」
しん、と部屋に沈黙が下りる。
「……わかった」
ぽつりとエレスサールが言った。
「今の話はなかったことにしてくれ」
諦めたように息を吐いてから、彼は苦笑めいた笑いを漏らした。
「そう堅苦しい話ではないんだ。ただ、あなたは何事も公正な判断をするから、結果的に叱ることになるんじゃないかと……。いや、これ以上余計なことを言うのは止そう」
エレスサールは立ち上がると、執務机から小さな箱を取り上げた。
「とにかく、これを受け取ってくれ」
目の前に置かれた小さな箱を、ファラミアは凝視した。
——これがなんだと言うのか。
なにしろ前置きが「叱るな」だったのだから、少なからず緊張する。エレスサールを問うように見たが、彼は開けてみてくれというように頷いただけだった。
そっと蓋を持ち上げる。布に包まれた物が入っていた。そろりと取り出せば、ずしりとした重みを感じた。手のひらにおさまる程度の大きさなのに重い。布を広げると、淡い青色の輝きが現れた。
「……青玉(せいぎょく)ですか」
美しくカットされた青い宝玉が銀色の台座に載っていた。青い輝きを持つ石は見る者の心に清涼感をもたらす。その中でも青玉は誠実や慈愛の象徴として、古くから尊ばれていた。青色が濃く深みのある物ほど良いとされ、貴族たちの間でも人気が高い。
目の前にある石はさほど色は濃くない。カットは見事だが、石の価値は低いだろう。けれど、淡いながらも透明感のあるそれは主君の瞳の色にも似て、ファラミアを惹きつけるには充分だった。
「エルボロンが原石を見つけた」
エレスサールの声にファラミアは顔を上げた。
「この間、エミン・アルネンに出向いたとき、行き会ったと話しただろう?」
「ええ」
覚えていると、ファラミアは頷いた。乗馬の稽古から戻った息子が、「陛下をお連れしました」と書斎に駆け込んできたのだ。
「わたしが声をかけたとき、彼はその原石を抱えていた。石に興味があるのかと訊いたら、『父上に贈り物をしたい』と言われた」
ファラミアは怪訝に思った。息子にそのように思わせる出来事があっただろうか……。首を捻ると、答えるようにエレスサールが言った。
「エオメル殿の付けていたブローチの話を聞いたよ」
どきりとした。確かにエルボロンの前で、ブローチを贈ったエルフヴィネの行いを誉めた。しかし、自分も何か贈って欲しいと思ったわけではない。
「わたしもエオメル殿から、ご子息に贈られた物だと直接聞いた。大層うれしそうに話してくれた」
隣国の王の様子を思い出したのか、エレスサールはくすりと笑った。
「エルボロンは羨ましくなったらしい。それに『父上から弓や短剣をいただいているのに、お返しをしたことがない』とも言っていた」
「そんな……」
ファラミアは唖然とした。年端も行かぬ我が子に返礼を求める、自分はそんな父親だと思われているのか……。
「最近、弓の腕が上がって、鴨や兎を捕ってくるようになりました。そのときは、わたしもエオウィンも——」
きちんと誉めているし、礼も言っていると、思わず声が高くなったファラミアに、エレスサールはわかっているというように手をかざした。
「それは聞いたよ。『腕を上げたと誉めてくださるし、いつも喜んでくださる』と。けれど、ブローチを見て、形を残す物を贈りたくなったそうだ。——そんなふうに考えるところが、なんとなくあなたに似ていると思った」
エレスサールは穏やかに笑った。
「とはいえ、何を贈れば良いのか、ずいぶん悩んだらしい。『父上はイシリアンの領主で執政だから、贅沢な物も趣向を凝らした物も持っている。自分が手に入れられる物で適うはずがない』と。それで、原石のことを思い出して探したらしいが——」
何事か思い出したように、エレスサールはくすくす笑った。
「せっかく見つけたというのに、大した価値はないだろうし、加工の仕方も知らないと石を抱えて悄気ていた」
ファラミアの脳裏に、原石を抱えて途方に暮れている息子の姿が浮かんだ。なるほど、エレスサールが助け舟を出した気持ちがわかった。
「それで加工の手助けをしてくださったわけですか」
「わたしも“エルボロンの父上”には世話になっているからね」
主君は茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「日頃の感謝を込めて助力を申し出たというわけだ。執政殿の机に置ける物ということで、ギムリに細工を頼んだ。大急ぎで仕上げてくれたよ。台座の表面はミスリルで、中に鉛を詰めてあるそうだ」
それで重いのかと持ち上げれば、台座に贈り主である二つの名前が刻まれていた。心が温かなもので満たされていく。
「それで——」
頬を緩めながらも、訊くべきことは訊いておかねばとファラミアは口を開いた。
「叱るなとおっしゃったのは、原石を見つけた場所が問題だからですか」
「やっぱり叱るか」
予想どおりというようにエレスサールが言った。
「注意はしますよ。不用意に近づく場所ではありませんから」
イシリアンでこうした石が見つかる場所は影の山脈の裾野だ。モルドールが滅び、闇の生物は減ったといえ、子供が近づいていい場所ではない。そんなところへ立ち寄るのを随行の者が許すはずがない、となれば結論はひとつだ。
「陛下が見つけたときは随行の者を撒いていたのでしょう?」
確かめるように訊けば、エレスサールは無言で肩を竦めた。肯定だ。
「けれど、きちんと礼は言いますよ。石としての価値は低いかもしれませんが、わたしは気に入りました。上品な良い色です。大切に使いますよ」
ペーパーウェイトにちょうどいい。我が子と主君の心が形になった、このような物を贈られる自分は果報者だ。
「そうか」
ほっとしたようにエレスサールが言った。
「ええ。ところで、陛下——」
ファラミアは石を布に包み、箱におさめながら口を開いた。
「なんだ?」
「陛下もお一人で、この原石があった場所へお出かけだったのですね」
「ああ、そうだが」
エレスサールは何気ない調子で答えた。こういったところは真に無防備だ。それとも、何気なさを装ってはぐらかそうというつもりなのか。そんな手では誤魔化されないと、ファラミアは質問を重ねた。
「どのようなご用がおありだったので?」
「用って、特には……」
エレスサールは口ごもったが、その顔には気晴らしで出かけただけだと書いてあった。件の遠乗りについては既に説教を食らったから、安心しているのかもしれない。
——甘いお人だ。
そのおかげでこちらは楽しめる。ファラミアの口許は自然と笑みをつくった。
「こうした原石が見つかるのは、陛下がエルボロンの身を案じてくださるような場所——つまりは影の山脈の麓。国王が不用意に近づく場所ではありません」
主君の顔に初めて「しまった」という色が浮かんだ。
「あのような危険な場所へ、特に用もなくお一人でお出かけになるとは——。なぜ、そのようにご自身を軽んじることばかりなさるのです? 万が一のことがあったら、どうなさるおつもりだったのですか」
ファラミアは立ち上がった。
「万が一って……心配し過ぎだろう」
エレスサールは少々動揺したが、すぐに言い訳を始めた。
「モルドールが在ったとき、わたしはあの近くを何度か通っている。それに比べれば、冥王が滅んだ今はどうということもない。そうだろう?」
確かに彼の言うとおり、野伏の長だった技と剣の腕があれば、大抵の危険は退けられるだろう。けれど、ファラミアは「どうということもない」というほど、楽観的にはなれなかった。
「なるほど、そのようにお考えなのですね。どうということはない、わたしの心配は要らぬことだと——」
テーブルを脇に避けながら、ファラミアは長椅子に手を付いた。
「いや、決して要らぬこととは……」
エレスサールが長椅子の上を後退る。
「今まで言葉を尽くして参りましたが、おわかりいただけないとは哀しいことです」
「ファラミア……。その、すまない。わかっていないわけでは……」
詫びの言葉を口にしながら後退っていく主の姿を、内心おかしく思いながらファラミアは逃げる腕をつかんだ。
「けれど、陛下にはきっとおわかりいただけると信じております。まずは今夜、一晩かけてじっくり、わたしの想いをお伝えしたいと存じます。ご都合はよろしいですね」
「よろしいですねって……」
口をぱくぱくさせる主君の痩身をファラミアは長椅子に倒した。
「一晩って……、ファラミア……」
仰向けにされて漏れた呟きに、ファラミアはにこりと笑んだ。
「一晩でご不満なら、二晩でも三晩でも構いませんが」
「いや、そんなにいらない」
主君は慌てて首を振った。
「第一、夜でなくてもいいだろう」
「なるほど、そうですね。夜でなくてもいい——」
確かめるように呟いた言葉に、エレスサールがそうだろうと頷く。しかし——、
「では、明るいうちになさいますか?」
するりと頬を撫でて訊けば、その顔は引き攣った。
「わたしはいつでも構いませんよ」
黒髪をすくって口づける。
「……夕食は食わせてくれ」
諦めの懇願に、ファラミアは微笑んで答えた。
「御心のままに——」
【Brooch】 | 【Holiday】
“おとーさんへ物を贈ろう”話、二つ目。馬司父子話からゆる〜い感じで続いております。

影の山脈で青玉(せいぎょく/サファイア)が産出されるのかは存じません(コラ)。火山が近いから、マグマの熱でコランダム結晶ができていたらいいなぁ、と妄想全開で書きました(^^;)それならルビーもあるだろうから(同じコランダム結晶)、イシリアン領は安泰です(笑)。

エルボロン君よりエルフの石が出張ってますね(苦笑)。父親参観がボロン視点だったので、こちらをファ視点にしてみたのですが、“おとーさんへの贈り物”というポイントからはズレてしまいました(汗)。
でも、大丈夫。きっとファラミーは喜んでいる! 主君に迫る口実が出来て(そこか)。陛下にはいい迷惑かもしれませんけど(^^;)

ファへの贈り物、実のところ、王様にリボンを結んで差し出せばいいような気がしますが(馬司でも同じか?)……まあ、それでは話になりませんのでこんな感じになりました。