青嵐[14]
「この青紫玉は——」
ファラミアは布にくるんだ青紫玉をそっとテーブルに置いた。エレスサールが指先で静かに布をめくる。中から、夕焼けの後に空を彩る色を閉じ込めたような、美しい藍色の輝きが現れた。
「マエグヒアの家の——何代か前の当主に嫁いできた、女性の婚礼衣装の飾りだったそうです。その後、今のように銀の台座が付けられ、代々長子が受け継いできたと聞きました」
「アエガシオンは長子ではなく三男だが……」
エレスサールが不思議そうに首を傾げた。
「マエグヒアが方針を変えたのか?」
「護衛によると、長男は弟のアエガシオンに甘いようで、青紫玉も譲られたのだと言っていました」
ファラミアは捕らえた男から聞いた話をした。
「ただ、いくら甘い長男でも紛失は許さないだろうと……」
「確かに、謝って済む話ではないな」
エレスサールが重々しい口調で頷いた。
「代々伝わってきた品だ。それを気軽に持ち歩いて掏られたとなったら、譲った長男の面目も丸潰れになる」
「ええ。アエガシオンは青くなったそうです。それに彼は何より、父親のマエグヒアに知られるのを恐れていたそうで……。長男が青紫玉を譲ったときも良い顔はしていなかったらしいですから。気軽に持ち出したことだけでも厳しく叱責されると」
「なるほど、護衛が血眼になって追うわけだ」
エレスサールは頷き、テーブルの上の藍色の輝きを布ごとそっと持ち上げた。
「それにしてもアエガシオンというのは、ずいぶんのんきなタチだな。こんな由緒ある品を不用意に持ち歩いていたとは」
「いえ、持ち出したのは掏られた夜だけだったようです」
そう言うと、エレスサールの青い目が二、三度瞬いた。
「それはまた……不運だったな」
主の口からファラミアが思ったのと同じ感想が漏れた。そう、アエガシオンは運が悪かった。たまたま持ち出した日に掏られたのだから皮肉なものである。
「しかし……なぜ、またその夜に限って持ち出したんだ?」
「敵娼(あいかた)に見せるためだったそうです」
「……そういうことか」
エレスサールが納得した顔で息を吐いた。
「ええ。気を惹こうと思ったのでしょう。さすがにのんきな三男坊も、贈るつもりはなかったようです」
「贈らなかったが掏られたか」
エレスサールの呟きにファラミアは小さく苦笑した。
「掏られたのはいつ気づいたんだ?」
「借家に戻ってからだと聞きました。懐が空っぽなことに気づいて、アエガシオンは叫び声を上げたそうです」
「無理もない」
エレスサールが苦笑交じりに呟いた。ファラミアは肩をすぼめた。代々伝えられてきた宝玉が懐から消えていたら、誰もが取り乱すだろう。自業自得ではあるが、同情はする。
「子供に掏られたことはすぐに見当がついたと申しておりました。あの子がぶつかってきたのはよく憶えていると」
「あの子は顔を見られていたのか」
追われるのも致し方ないといった表情で、エレスサールは息を吐いた。
「しかし、取り返して済ませようとは思わなかったのか。だいたい、いきなり殺してしまっては、青紫玉の在りかもわからなくなるだろう」
「実は襲う直前、子供が青紫玉を眺めているのを目撃したそうで……」
「それはまた不用心だな。あなたやエルダリオンの話では、ずいぶん用心深い子のように思ったが」
訝しげにエレスサールが言った。
「珍しい獲物を手に入れて、うれしかったのでしょう」
用心深いとはいえ子供だ。図らずも美しい宝玉を手に入れられたなら、眺めて楽しみたくもなるだろう。
「彼らが殺す決意をしたのは、子供でも油断できないと考えたからだそうです。まあ、子供でも後々脅しの種にしてくることはありますので……」
荒んだ世界に生きる子供は、同じ世界に生きる大人の真似をする。後日、口止め料を寄越せと強請ってきた事例は──表沙汰にはなっていないものの——耳にしている。
「それで口封じを兼ねて始末しようとしたか。だが、やり方がまずかったな。白昼の路上で抜き身を提げて襲っては、いたって注目される」
「その点は同感です」
ファラミアは頷いた。
「ただ、彼らもああなったのは予想外だったようで……」
男の顰め面を思い出し、ファラミアは小さく笑った。
「剣を抜いたのは周囲に人目がなく、良い機会だと思ったからと。一撃で仕留めるつもりだったそうです」
「あの子はかわしたか。すごいな」
「いえ、思わぬところで転ばれて、狙いをはずしたと苦々しげに申しておりました」
「運が強いな」
エレスサールが愉快そうに笑った。
「そうですね。それに足が速いのは間違いないでしょう。初撃をかわしたのは偶然ですが、二撃目からは逃げたわけですから」
「護衛たちが必死になるわけだ」
「はい」
ちょうど青紫玉を持っているところを見つけたのだ。逃がすわけにはいかなかっただろう。次に捜し出したときには、青紫玉を売り払っているかもしれない。また命を狙われているとわかれば、用心して出歩かなくなるかもしれない。ミナス・ティリスから逃げ出される恐れもある。護衛たちは逃がすまいと必死だったろう。
「そのうえ、なんとか追い詰めたと思ったら、とんだ邪魔が入った」
エレスサールが喉の奥で笑った。追っていた護衛たちにしてみれば、エルダリオンとシルメギルは邪魔者でしかなかっただろう。
「彼らには大誤算の結果になったな」
「そうですね」
ファラミアが頷くと、エレスサールが意味ありげにこちらを見た。
「そのうえ執政が出てきて仰天しただろう」
「王太子と国王が係わっていたと知ったら、もっと驚いたでしょうね」
そう言うと、青灰色の瞳が気まずそうにすいと逸れた。それを見て、ファラミアは口許だけでひっそりと微笑した。