青嵐[15]
エルダリオンが掏摸の子供を抱えて執政館に駆け込んでから、十日余りが過ぎた。
ファラミアは登城前に、子供と居間で向かい合った。窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。やわらかな朝の陽射しが室内に降り注いでいた。どっしりとした長椅子に、子供は居心地悪そうに座っていた。
ファラミアは机の上に箱を置いた。蓋を開けると、やわらかな布の上で青紫玉がきらめいた。
「お前が持っていたこの宝石(いし)だが、元の持ち主に返す」
護衛が自白した翌日、マエグヒアへ早馬を送った。四日後、青ざめた顔をしたマエグヒアがミナス・ティリスに現れた。ファラミアの説明を聞いた彼は護衛の身柄を引き取り、三男のアエガシオンと共に早急に領地へ連れ帰ることを約束した。
当初は該当部署へ処分を任せようと考えていた事件だが、解決に国王御製の偽書を用いたこともあって内済にした。マエグヒアの家のためにも、これでよかったのだと思う。
「返還後、先方はお前に手出しを一切しないと取り決めた」
子供は息を詰めたような顔で、青紫玉を凝視していた。
「お前も掏摸から足を洗うのだな」
ファラミアは子供の視線を遮るように、箱の蓋を閉じた。
「お前が絵を描きたいなら、師を紹介することもできるが、どうする?」
訊くと、子供はキッと顔を上げた。
「師なんていらねェやい」
予想どおりの返事だった。
「そうか。しかし、今のままでは生計を立てていくのは難しいぞ」
ファラミアは箱を懐にしまいながら言った。
「確かにお前には才能がある。だが、いかんせん荒削りだ。我流でもある程度まで描けるようになるだろうが、いずれ行き詰まる。絵具の使い方や描く技法を習っておけば、必ずその先へ伸びる」
子供の唇がゆがんだ。年齢に似合わないいびつな嘲笑だった。
「俺が画家になれば、あんたの得になるって話か」
「得になるとは限らないが、助かるのは確かだな。お前を弟子入りさせても、画家として大成するかはわからぬ話だが、少なくとも街から掏摸が一人減る。掏摸一人分、治安が良くなるのだ。執政官として喜ばしい」
子供の唇がムスッと曲がった。
「……掏摸を弟子にするような物好きがいるかよ」
「そんなことはない。世の中、お前が思う以上に物好きは多いぞ。考えてみろ、身体を張って掏摸を助け、身柄を保護する物好きな方がいなかったら、お前は今そうして生きていないのではないか?」
子供は答えない。ファラミアは構わずに話を続けた。
「とはいえ、確かに礼儀を身に付ける必要はあるな。とりあえずイシリアン——エミン・アルネンで預かる。そのつもりでいろ」
「勝手に決めるなよ」
不満そうに子供が言う。
「仕方がない。お前は子供だ。身寄りもなければ土地も財産も持っていない」
「……しようがねェだろ!」
バンッと子供がテーブルに手を付いた。
「俺はお前らみたいな貴族じゃない。金なんて持ってなくて当たり前だろ!」
立ち上がってファラミアを睨みつけたその顔は怒りで赤く染まっている。
「だけど、そんなのは俺のせいじゃない。莫迦にすんな! 助けたからって恩着せがましく指図すんな。貴族だからってなんだ。威張りくさりやがって!」
子供が叫び終えるとほぼ同時に、部屋の扉が叩かれた。
「——ファラミア様?」
執事の声だ。叫び声を聞いて心配になったのだろう。ファラミアは扉に向かって「大丈夫だ」と声をかけ、肩を上下させている子供に目を遣った。
「貴族が嫌いか」
「ああ、大っきれェだ」
「だったら、利用してみようとは思わないか?」
ファラミアはこちらを見下ろす灰緑色の目にひたりと視線を合わせた。
「利用してのし上がってやろうという気はないか?」
何を言い出すのだというように、子供は眉を顰めた。
「お前は莫迦ではなさそうだ。やろうと思えば、お前の大嫌いな貴族を利用できる。少し従順な振りをすれば、高価な絵具も画紙も手に入りやすくなる。そうやって利用してのし上がって、大嫌いな貴族たちを見返してやったらどうだ?」
毒気を抜かれたような顔をして、子供はとすんと腰を下ろした。
「……あんた、タチ悪いな」
「それは光栄だ」
「誉めてねェよ」
つまらなさそうに呟くと、子供はそっぽを向いた。
「近いうちにエミン・アルネンに移る。そのつもりでいろ」
言い置いてファラミアは立ち上がった。
「ああ、いいさ」
子供がこちらを見上げた。灰緑色の瞳に挑戦的な光が浮かぶ。
「せいぜい利用してやるよ。あんたからな」
「楽しみにしている」
言葉と態度は問題だが、臆せぬ気質は頼もしい。少々のことでは挫けない逞しさの表れでもある。折れずに育てば大成するかもしれない。そうなればエルダリオンはもちろん、エレスサールも喜ぶだろう。
「閣下、マントを」
執事に渡されたマントを羽織りながら、ファラミアは口許を緩めた。
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