交渉と戦略[1]
ハロンドールと近ハラドの境をハルネン川が流れる。その川沿いに建つゴンドールの砦が攻撃を受けたのは秋の終わりだった。
第一報が入った当初、ゴンドール軍内部では、常駐している部隊で対処できるだろうという楽観的な見方が多かった。執政職とイシリアンの領主を兼ねるファラミアの意見も同じだった。援軍は出すが、それは念のためという認識だった。
だが、大方の予想に反し、砦の攻防は苦戦した。
——内通者がいたとはな。
砦を預かる将の副官——の小姓が情報を漏らしていた。少年の素行を怪しみだした時には既に遅く、攻め手が押し寄せる中、彼はいずこかへ姿を消した。副官の机に広げてあった図面とともに。
——あれはわたしが適当に線を引いたデタラメです。
副官が憂いた顔で言った。その表情は、使用人から内通者を出してしまったことを嘆くというより、図面が役立たずだと発覚したときの少年の行く末を案じているようだった。敵に通じたとはいえ、少年は小姓としてよく仕えていたのかもしれない。
しかし、同情している場合ではなかった。もし、その図面が本物の見取り図だったとしたら、今頃、砦は落ちていただろう。実際、増援が遅れていたら危なかったのだ。
はじめに送った援軍だけでは砦を囲む敵を打ち破れず、エミン・アルネンで待機していたファラミアが駆けつけた。夜明け間際に側面から急襲し、態勢を崩した敵を川向こうへ追い返すことができた。
ひとまず砦陥落の危機は去った。けれど、安心できる情況ではない。敵は対岸に留まり、機会を窺っている。
短期に決着を付けるのが望ましいが、それにはこちらが渡河して敵を蹴散らすしかない。だが、それを実行するには味方の数が足りなかった。あちらは一万……には及ばないかもしれないが、それに近い。
一方、こちらはかき集めてやっと五千だ。篭城や奇襲ならともかく、兵力に倍の差があっては、まともにやり合って勝てるはずがない。しかも、こちらにとってハルネン川の向こうはほぼ未知の土地である。圧倒的に不利だ。
きな臭いという情報は入っていたが、小姓を抱き込んでいたことといい、余程前から計画していたのだろう。その事前準備を考えても、簡単に引くとは思えない。こちらの兵が増えれば向こうも考えを変えるかもしれないが、これ以上この地に兵力を集めるのも考えものだ。他が手薄になる。
やはりこのまま川を挟んで膠着状態か——と、思案に暮れた翌日、事態は一気に動いた。
払暁の光に七つの星を戴いた白の木の旗がはためいたのだ。
◆◇◆◇◆◇◆
「あの砦か。手強そうだな」
木立の合間から丘の上に建つ砦を眺め、ファラミアの隣にいる細身の武人が言った。一昨日の夜明け、援軍を率いて現れたゴンドールの王エレスサールである。王の参戦は兵士の士気を大いに奮い立たせた。援軍を得てもなお数の点で劣っていたが、川を渡り敵を退却させるに至った。
これで、ハルネン川沿いから敵を引かせることはできた。しかし、和議を結ぶには至っていない。ハルネン川から七リーグ程東に進んだところで、今度は相手方が砦に籠もってしまった。砦の塔にはこの地を領とするハラドリムの旗がはためいている。言わずもがな、ここは敵の領内だ。相手方の援軍が現れれば退路を断たれる恐れがある。長居を避けるのが賢明だ。
だが、ここで退いては、後々までこの戦いを引きずる恐れがある。できれば決着を付けておきたい。そうでないと数ヶ月後、また国境を破られかねない。そんな小競り合いを続けるのは御免だ。理想は敵の援軍が来る前に和議を結ぶことだ。それもゴンドールに有利な形で。そのためには——、
あの砦を落とさねばならない。
援軍が着く前に砦を落とせば、彼らが頼るものは無くなる。向こうから和議を申し出てくるだろう。ここから退却して戦線を後退させることはまずあるまい。これ以上、ゴンドール軍に領地を浸食されるのは避けるはずだ。
「丘の周囲は堀が巡らせてあるんだろう?」
エレスサールが砦を見遣ったまま言った。
「ええ。空堀ですが、深さも幅も相当のようです。堀の向こうはレンガづくりの壁がめぐらせてあります」
「おまけに大門は跳ね橋か」
それで攻めあぐねている。すぐにも砦を囲むべしと息巻いていた将も、斥候の報告を聞いて考えを改めた。
「——となると、まともに攻め入れないな。こちらは投石機も攻城機も持っていない。まあ、つくろうと思えばつくれるが……、あの丘の規模と砦の大きさを考えると、投石機も攻城機もあまり効果はなさそうだな」
エレスサールの口許に苦笑が浮かんだ。砦を形成する建物は丘の中腹より上にある。余程巨大な投石機でなければ、あの位置には届くまい。これではせっかく投石しても裾野にあるレンガの壁を崩すのがせいぜいで、あとは空き地に落とすばかりになりそうだ。
「篭城には兵糧攻めだが、そんな時間はかけられない。まあ、もちろん、補給路は断つが、ここにいつまでも陣を張っていられるほど、我が国も余裕はない」
「ええ」
ファラミアは頷いた。遠征が長引けば、それだけ国庫に負担がかかる。それだけではない。
「長期の篭城戦を戦うだけの兵力を用意するのは困難だ」
エレスサールの言うとおり、そもそも兵力がないのだ。篭城した相手に正攻法で勝つには、少なくとも相手方の三倍の兵力が必要と言われている。つまり、少なくとも今の三倍の兵が要るということだ。だが、ゴンドールはモルドールとの戦いで多くの兵士を失った。そんな余剰戦力はない。
「何か良い案はあるかな。執政殿」
無い、という答えは想定していない微笑が振り向いた。
——喰えない人だ。
そう思いながら、ファラミアは静かに一礼した。
「ひとつございます」
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なんだか、あやしいビジネス書のタイトルのようですね(汗)。
まあ、それぞれ人にあったやり方があるでしょうから、隙のない脅迫の微笑で凄むか、潤んだ瞳で凝視し小首を傾げて手を握るか——方法はいろいろだと思います(そういう話ではありません)。
まあ、それぞれ人にあったやり方があるでしょうから、隙のない脅迫の微笑で凄むか、潤んだ瞳で凝視し小首を傾げて手を握るか——方法はいろいろだと思います(そういう話ではありません)。