嫉妬[1][2][3][4]

嫉妬[2]
冷たい夜風が露台を吹き抜けた。熱いスープをたいらげ、酒精に火照った肌には心地良い。
「気持ちいいな」
酒杯を手すりに置いたエレスサールが星の瞬く空を仰いだ。
「数日前まで草原の風を浴びていたのに、帰ってからずっと書類に埋もれてたせいか、なんだか久しぶりな気がする。実にいい気分だ」
風に髪をなびかせ目を閉じた横顔は、心から寛いでいるように見える。寛容ながら、用心深くもある主君が、ごく近しい者にだけに見せるやすらいだ表情。今までは、エレスサールがこうした表情を見せてくれることに、静かな喜びを感じていた。だが、今は……
——エドラスでもそうして振る舞ってらっしゃったのですか。
苦いものがこみ上げてくる。
「……そうですか」
無意識に低い呟きが漏れた。
「ローハンでは、さぞ良いお気持ちになられたのでしょうね」
「ファラミア……?」
「夜中に部屋を抜け出してらっしゃったそうですね」
そう言っただけで、訝しげに首を傾げていたエレスサールの表情が変わった。ただし、驚愕ではない。苦笑だった。長い歳月をさすらい、死闘をくぐり抜けてきた我が主は肝が据わっている。少々のことでは動じない。
「部屋係の侍従か……それとも、書記かな」
誰のご注進だと、そう尋ねる顔はおもしろがってさえいる。主のペースに流されまいとファラミアは表情を引き締めた。
「それを知ってどうなさるおつもりです?」
「どうもしないよ。答えがあるとも思ってない。訊いてみただけだ」
エレスサールは軽く肩を竦めると杯に口をつけ、改まった顔でファラミアに向き直った。
「ファラミア——」
硬質な声に名を呼ばれる。
「察しはついているんだろう?」
問いかけの言葉とともに、エレスサールの首が小さく傾いた。黒髪がさらりとそよぐ。その所作は単なる彼の癖だが、今のファラミアにはふてぶてしいほど冷めた態度に見えた。
「話すつもりではいた。あなたに隠しとおすことは難しい。ただ——」
青灰色の眼差しが一瞬逸れ、抑えた声が聞こえた。
「どう切り出せば穏当に済むかと、それを考えていた」
——穏当?
ファラミアは耳を疑った。どうしたら穏当に話せるというのか。風が露台を横切り、すうっと心が冷えた。
「穏当に済むことと、そうお考えですか」
「……やっぱり無理か」
エレスサールが諦めたように息を吐いた。
「当然ではありませんか。由々しき問題です」
そう、由々しい問題だ。国王同士、身体の関係を持つなど。
「それはまあ、表沙汰にできることではないが……、隣国の王と交誼を結ぶのは悪いことじゃあるまい」
「手段が問題です」
ファラミアは厳しい声で言った。しかし、感覚のズレた主はどこまでものんきだった。
「確かに誉められた手段じゃないが……、子供ができるわけでなし、そう目くじらを立てることもあるまい」
「そういう問題ではありません!」
主の脳天気さに思わず声が荒くなる。子供ができるなどと、まったく冗談ではない。
「第一、あなたが女であったら、今ほど身軽に他出させていません」
「それは……男でよかった」
ぼそりと落とされた呟きに、ファラミアの頬は引き攣った。
「陛下!」
「心配するな。エオメル殿も公私の別をつけることは納得している。二国間の協議に私情を持ち込むことはしない」
落ち着いた声が淡々と言う。ファラミアは奥歯を噛み締めた。
「だから、目を瞑れと?」
「公務に影響が出なければ、執政殿が思い煩うことはないだろう」
ファラミアの身を静かな衝撃が貫いた。お前には関係ない——そう言われたも同然だった。身体が揺らいだわけでもないのに、視界が揺れる。露台に吹くのはそよ風なのに、ゴオッと耳鳴りがした。息苦しさを覚え、胸元に手を当てる。呼吸を整える中、エレスサールがくすりと笑うのが見えた。
「それにしてもおかしなものだな。妃以外の者から浮気を咎められるとは——」
アルウェンは何も言わなかった——そう苦笑する姿に怒りを覚えた。こんなに無神経な人だったのか。そんなはずはないと思うが、現に目の前でこうしてへらへら笑われては打ち消せない。
「フ……」
ファラミアは嗤った。普段は心の奥の淵に沈めてある昏冥とした情念が立ち昇ってくる。
「なるほど。ローハン王とのことはちょっとした浮気だと、そうおっしゃるわけですか」
くく、と喉から低い声が漏れる。
「そう教えて差し上げたら、彼はなんと思うでしょうね。我が王の振る舞いは軽い気持ちの火遊びなのだと——」
「ファラミア……」
青灰色の瞳が揺れる。
「ええ。わかっていますよ。あなたは誰に対しても本気だ」
——だからタチが悪い。
ファラミアは足を一歩踏み出した。
「それでも、わたしとも関係があると吹き込んだら、彼はどんな顔をするでしょうね」
「……ファラミア」
「あのまっすぐな心根の青年は——」
にこりと微笑みながら、麗しい主の顔を見つめる。
「やめてくれ……」
「あなたが招いたことですよ。陛下」
エレスサールの顔が苦痛にゆがんだ。けれど、それは僅かな時間だった。決意を固めた光が澄んだ瞳に浮かぶ。
「……そうだな。確かにわたしが招いたことだ。だから、責めはわたしが負う。エオメル殿には何も言うな」
重い声が告げる。
「王として命ずる。マークの王には一切手出しをするな。いいな」
ファラミアの胸にズキリとした痛みが走った。
——それほど、彼が可愛いか。
灼けつくような感情が湧き上がってくる。
「いいでしょう」
胸の内とは裏腹にファラミアは薄く笑んだ。
「あなたが責めを負ってくれるなら」
するりとエレスサールの頬を指でなぞる。青灰色の美しい瞳が哀しげに伏せられた。
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今回はファよりも王様がワルイ人……つーか、酷い人ですね(^^;

すべてを知らされながら素知らぬ顔をしていろと命ぜられたファと、何も知らされないエオ兄と、どちらが酷な仕打ちでしょうね(黒笑)<コラ。

まあ、ファの言うとおり、陛下は誰に対しても本気ではあるんですけどね(^^;