再生[1][2][3][4][5]

再生[4]
エレスサール王が即位して五年、オスギリアスには多くの人が暮らし、街らしくなっていた。戦いの痕跡が残る建物も多く、損壊したままの建物もまだ残っているが、人々の表情は明るい。
イシリアンにも多くの人が移り住んでいる。荒れた土地もあるが、伝え聞く美しい地にしてみせると、イシリアン公ファラミアが力を入れている。
ミナス・ティリスはもとより、かつて闇の勢力の手に落ちたオスギリアスやイシリアンでも、賑やかな声が響くようになり、これも帰還せし王のおかげと、人々は白き塔を感謝の念とともに仰ぎ見るようになった。一方、そんな眼差しを送られるようになった国王の執務室では——、
「いったい何度言えばわかるのだ! あなたは」
この五年、怒鳴り声が響くことが珍しくなくなった。
「どうして黙って一人で出かけようとする」
ボロミアは長椅子で肩を竦めている野伏――の装束を纏った主君を睨みつけた。野をさすらう半生を過ごした彼は、その頃の癖が抜けきらないらしく、即位して五年経った今もふらりと一人で出歩くことを止めない。
野伏の長を務めていた身は人目を忍ぶ行動に長けていて、城の衛兵の手には負えず、王の“脱走”は阻止どころか、把握も難しい状態だ。
「どうしてって……大した用ではないんだ。わざわざ予定を組んで、誰かに同行してもらうこともないだろう」
「誰がそんな話をしている」
ズレた言葉を返され、つい声が荒くなる。
「あなたは王なんだぞ。単独で出歩ける身分でないことぐらい承知だろう。しかも黙って城を空けるなど、周囲の者がどれだけ混乱すると思っている」
これまで散々言ってきたことを、ボロミアは改めて繰り返した。アラゴルンは物覚えも物分かりも悪くないのだが、この悪癖に関してはどれだけ言っても改めようとしない。
「それなら大丈夫だ。今から出かければ、明日の朝議までには戻ってこられる。混乱することはない」
「そういう問題ではない! 国王が黙って出かけることが……」
襟をつかむ勢いで言いかけて、はたとボロミアは気づいた。
「て、おい……ちょっと待て。明日の朝議までには、とはどういうことだ? アラゴルン」
下層へ出かける“いつもの夜遊び”なら、夜のうちに戻ってこられるはずだ。
「なぜ、そんなに時間がかかる。いったいどこへ行くつもりだった?」
「オスギリアス」
「なんだと?」
ペレンノールを渡るつもりだったと知り、ボロミアは警戒を覚えた。
「どうしてオスギリアスに……。なぜ、夜に足を運ぶ必要がある」
「知り合いが宿屋を開いたと聞いたから、ちょっと見てこようと思って……」
「知り合い?」
ボロミアは眉を顰めた。そんなふうに気にかける知り合いがいるのか。しかも、誰にも知られないよう会いに行くような……。
「誰だ?」
「あんたも知っている人間だ。……ほら、元・人買いの運び屋で、一時期、東岸の廃墟に住みついた無頼者の元締めをやっていた……」
「あのときの……」
ボロミアの脳裏に数年前の事件が蘇った。
「あの男が戻ってきたのか? オスギリアスに」
「そうらしい」
「それで、あなたに会いに来いと?」
「そんなこと、彼が言って寄越すわけがないだろう」
アラゴルンが呆れたように顔を顰めた。
「風の噂で聞いただけだ」
「風の噂……。ようするに、街に出かけて聞いたわけだな。あなたはいったいどれだけ出歩い……」
「頭の固いことを言うな」
「あなたの頭がやわらか過ぎるんだ。とにかく、外出は諦めるんだな」
ボロミアは主が羽織っているマントを脱がせるべく手をかけた。アラゴルンの手が抗うように、ボロミアの手をつかむ。
「いや、ちょっと待て……ボロミア。わたしの話も聞い……」
「駄目だ」
「まだ何も言っていない」
「言わなくてもわかる。見逃してくれと言うのだろう」
ボロミアは呆れた顔で聞き分けの悪い主君を眺めた。しかし、アラゴルンは違うというように首を振った。
「見逃せとは言わない」
にこりと笑い、ボロミアの手を握る。
「一緒に出かけよう」
「何を言ってる! アラゴルン。わたしの話を聞いていたのか」
ボロミアは邪険にアラゴルンの手を振り払った。彼はそれを気にした様子もなく、にこにこした顔で話を続ける。
「あんたは、わたしが黙って一人で出かけることを怒った。あんたに断って、あんたと一緒に出かけるならいいだろう?」
「いいわけないだろう!」
主の突拍子もない提案を、ボロミアはすかさず否定した。いったいどういう理屈だ。幼少時をエルフに育てられたせいなのか、はたまた、単独で野をさすらう半生で人付き合いが少なかったせいなのか、この王は物を測る尺度が大いにズレている。短くない付き合いでそのズレに慣れてきたと思っていたが……。
何にせよ、この場は頭に血がのぼらせて怒鳴っていても収まらない。相手は己の行動を悪いと思っていないのだ。正論を並べ立てても効果はない。ボロミアは気分を落ち着けるべく深呼吸をした。
「陛下——」
厳かな表情で主君に向き合う。
「わたしは二ヶ月の演習から、一昨日、戻ったばかりだ」
「ああ、そうだったな。すぐに出かけるのは嫌か?」
ひょこんとアラゴルンが首を傾げた。そういうことではない! と叫びたいのを堪え、一句ずつ噛んで含めるように話す。
「戻ってきてからは会議や会食で予定が埋まり、あなたとゆっくり過ごす時間がなかった」
アラゴルンが同意を示すように軽く頷く。
「今晩ようやく時間が空いてお訪ねしてみれば、あなたは抜け出すところ……」
ここからが要(かなめ)と、ボロミアは逃げられないよう、がしりと主君の肩をつかんだ。
「なぜなんだ、アラゴルン」
「……ボロミア?」
訝しげに主の首が傾く。
「わたしはこの二ヶ月、あなたに会えないことが寂しく、戻ってからは触れたくて堪らなかったというのに、あなたはのんきに夜遊びか。しかも、わたしに空振りさせるところだったその理由が、ほかの男に会うためだったとは。あんまりな仕打ちではないか」
一気にまくし立てると、青灰色の目が驚いたようにしばたたいた。
「あんまりって……そんな大袈裟な……」
「何が大袈裟だ。二ヶ月振りだというのに、あなたはつれなさ過ぎだ」
ひたりと視線を合わせて睨みつける。
「えーと、あー……」
滅多に動じることのない青い目がうろうろと泳いだ。戦闘ならばどんな情況であっても慌てず、的確な判断を下す人だが、事が“情”に絡むとその判断力は影を潜める。そこが狙いどころ——程度のことは数年付き合えば、鈍いボロミアにもわかることだった。
「わかった。悪かった。今日出かけるのは止める。それでいいだろう」
思いどおり、主は外出の取り止めを口にした。今日出かけるのは、といいう但し付きは気に入らないが、ボロミアは目を瞑ることにした。
「では、今夜はお付き合いいただけるので?」
確約の言葉を引き出すべく尋ねる。
「ああ。久しぶりに二人でゆっくり話そう」
アラゴルンはにこりと笑い、マントを脱いだ。
「この間、良い酒が入ったと、料理長が置いていってくれたのがある。あれを空け……」
そう言いながら、立ち上がろうとする痩身を引き寄せる。
「ボロミア……?」
どうした、と問うようにアラゴルンが振り返った。その愛しい青灰色の瞳に囁く。
「酒よりも、わたしはこちらがいい」
首を固定し、顎を捕らえ、唇を重ねた。息を継ぎながら、重なりを深め、彼の舌を絡め取った。ゆっくりと二ヶ月ぶりの感触を味わう。彼の舌を引き入れ、吸い上げると腕の中の身体がひくんと震えた。その反応が愛おしい。
「無沙汰を埋めさせていただこう」
黒髪を梳きながら言うと、アラゴルンは淡く笑んだ。
「お手やわらかに願いたいな。明日は朝議の後、ハルロンドの船渠(ドック)の視察がある」
馬に乗れないようでは困ると、真面目な顔が要求する。ボロミアは笑って請け負った。
「心配なさるな。中止でも延期でも、都合をつけて差し上げる」
「そういう都合はつけなくて……」
反論は聞かず、ボロミアはさっと屈むや、痩身を肩に担ぎ上げた。
「……おいっ! 勝手に持ち上げるな!」
すかさず肩の上から抗議が降ってきたが、当然のように無視をする。
「下ろせ!」
今度はぽかりと頭を叩かれた。
「すぐに下ろして差し上げる」
ボロミアは隣室の扉をくぐり、寝台の上に肩の“荷物”を下ろした。相手が跳ね起きる前にのしかかり、肩を押さえる。
「まったく……」
見下ろした人は深々とため息を吐いた。
「わたしと会って、まずしたいことがこれか」
「嫌か?」
頬にそっと手を添えながら訊く。彼が本当に嫌がっているなら、無理強いはできない。というより、本気で抵抗されたら、ボロミアは触れることができないだろう。
「嫌じゃないが……酒を酌み交わす余裕ぐらい欲しい」
「そのご要望には次回応えさせていただこう」
図々しく言うと、想い人はおかしそうに笑った。
「仕方がないな」
アラゴルンの指がするりとボロミアの頬を撫でる。
「では、今夜は大将殿の要望を優先しよう」
「ありがたき幸せ」
主の指に口づけて答えると、彼はくすりと笑った。ボロミアも笑う。二人でひとしきり笑った後、見つめ合い、再び唇を重ねた。アラゴルンの腕がボロミアの背にまわる。
——真にありがたき幸せだ。
最愛の主を腕に抱きながら、ボロミアは幸せを噛み締めていた。
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