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棘[4]
燭の灯りで暖かな色に染まった白いシーツに、人の重みが波紋を描いた。小さな光源は周囲の闇をいっそう濃くする。影によって、より造形が際立ったアラゴルンの顔を眺めながら、ボロミアはその肩からコートを落とした。臙脂色の布地がばさりとシーツの上に崩れ落ちる。
「また痩せたのではないか?」
ボロミアは眉を顰めつつ、ほっそりとした身体を抱き寄せた。やわらかな絹のシャツが彼の身体の線を浮き立たせている。三ヶ月前より、肩から腕のラインが細くなったように思う。
「そんなことはないさ。服の色が黒いから細く見えるだけだろう」
腕に抱いた人は笑い、ボロミアの首に腕をまわした。確かに黒い衣装は身体が引き締まって見える。だが——、
「肩が薄くなったようだぞ」
ボロミアは抱いた肩を手のひらで確かめ指摘した。
「気にするな」
麗人は軽く笑った。上目遣いの青い瞳が誘うようにボロミアの目を覗き込む。
どくん……。
ボロミアの体温が上がった。
——年端もゆかぬ少年でもあるまいに……。
我ながら初心な反応だが、どうしようもない。実際、彼が自分の機嫌を取るなど簡単だろう。弁解の言葉を並べる必要さえない。自分は彼の眼差しひとつで、こうもどぎまぎしてしまうのだから。
「気にするなと言ってもだな——」
ボロミアは平静さを保とうと、わざとしかつめらしい態度を装った。
「事実こうして……」
痩せているではないか、と指摘し、しゃべることによって気を落ち着かせようとした。しかし、それは叶わなかった。口の動きをアラゴルンの唇に邪魔されて——。
「う……」
声を詰まらせ口を閉じようとしたが、生温かく湿ったものが歯の間から差し込まれ、ボロミアは動きを止めた。侵入者は催促するようにツンとボロミアの舌を突いた。それだけで首筋に痺れが走る。彼の動きに応えようとボロミアは舌をからめにかかった。けれど、こちらがその気になった途端、相手はするりと退いていった。
——からかっているのか?
唇を離した相手を睨みつける。だが、その口許に透明な蜜がつたっているのを見るともういけない。ボロミアは濡れた唇を貪るように口づけた。背中にまわした手の下で彼の背骨や肩胛骨が動く。布越しに伝わるそれを直に感じたくて、ボロミアは彼のシャツをたくし上げた。勢いに押されたように細い身体が揺らぎ、そのままシーツに倒れ込む。
「こら……」
アラゴルンががっつくなと言うように咎める声を上げたが、ボロミアは構わずシャツ——彼の肌に触れるのを阻む障害物——を取り去る作業を続けた。たくし上げて頭をくぐらせ、腕を抜こうとして、ボロミアの頭にある思いつきが浮かんだ。実行すれば、格段に愉しめる気がして口許が緩む。思いつきのまま、ボロミアは彼の手首でわだかまっているシャツを、そこで固定するように縛りはじめた。
「おいっ、何をする」
アラゴルンがもがいた。それを体重をかけて押さえつけ、ボロミアは頬を緩ませながら言った。
「少し愉しませていただこうと思いましてな、陛下」
「あんた、そういう趣味があったのか」
怒るというより、呆れた口調でアラゴルンが呟いた。
「たまには趣向を変えるのもいいだろう。さて——」
手首を固定し、すらりと伸びた腕を改めて眺めたボロミアの片眉がぴくりと上がった。アラゴルンの左腕の肘に赤黒い痣があった。
「どうしたんだ。この痣は……」
ボロミアが肘に触りながら訊くと、手首を縛られた男はなんでもないことのように答えた。
「ああ、それはこの間の稽古でぶつけたんだ」
「稽古で? あなたはこんな痣をつくるような腕前ではないだろう」
確かに、実戦での彼の戦い方は自身の安全に無頓着で、かすり傷や痣など珍しくもないが、稽古で傷を負うような剣さばきはしない。
「それは買い被りだ。ただ、あのときは——」
「なんだ?」
「相手になってもらった近衛兵が足を滑らせて……。放っておいたら、彼自身の剣で怪我をしそうだったから、つい……」
「受け止めたのか?」
「まあ、そんなところだ」
アラゴルンは曖昧に頷いた。おそらく、相手の体重を支えきれず、下敷きになったのだろう。近衛兵の大半はアラゴルンより体格が良い。その体重を受けて転倒したのなら、相当の負荷がかかったはずだ。
「それでこの痣か」
ボロミアの胸にかの戦場で感じたのと同じ苛立ちが湧き上がった。
「受け身を取り損なってな」
しくじったと軽く笑う男を、ボロミアは黙って眺めた。なぜ——、
この人は自分の身を大切にしてくれないのだろう。
周囲にいるボロミアやファラミア、侍従長や近衛隊長などが口を酸っぱくして自重を願っても、いざとなるとどこ吹く風で勝手な振る舞いをする。わかった、気をつけると言いながら、先日のように野伏の姿に身をやつして戦場にまで現れる。
「どうした? ボロミア」
アラゴルンは手首を固定されたままの腕を持ち上げ、その指先でボロミアの顎に触れた。
「あなたは、なぜ……」
わたしの言うことを聞いてくれないのか——言いかけた言葉は喉の奥へ飲み込まれた。
当然ではないか。彼は王なのだ。臣下の言を退け、己の命に従わせる権利を持っている。ボロミアの言葉に従う義務はどこにもない。主君である彼は——、
ボロミアの庇護の下に存在しないのだから。
その当たり前の事実が今、なぜか、酷く腹立たしかった。同時に、あの場で彼が立ち去るときに言ったことまで思い出された。
——ただ、なんというか……。心配だった。それだけだ。
何が心配だと、憤ろしい気持ちになる。
「ボロミア?」
黙り込んだボロミアを気遣わしげな青い瞳が見つめる。その心配そうな眼差しに苛立つ。彼にとって自分は臣下であり、庇護すべき対象となるかもしれない。だが——、
白の塔の大将は、そんなあからさまに心配されるほど弱々しい存在ではない。
——莫迦にするな。
ボロミアはシャツで縛り上げたアラゴルンの腕をつかんだ。剣を取らせたら百人力の腕も今は無力だ。それを思い知らせるようにシーツへ押しつける。
「痛っ……」
アラゴルンが顔を顰めた。その表情を愉快な気分で見下ろす。
伝承の人物たちへつながる、中つ国で最も高貴な血筋の末裔。剣と智恵で数多の死地をくぐり抜けてきた英雄。望みの尽きた都に現れた救国の王。膝を付き、仰ぎ見ることを悔いてはいない。けれど——、
ボロミアの権限が及ばない存在。
そのことに、どうしようもない苛立ちを感じる。なぜか……。
——この尊い身を思うままに扱えたら、
「こら、いつまで腕をつかんでる」
——少しは溜飲が下がるだろうか。
「いい加減に放……」
抗議を無視し、いささか乱暴に唇を重ねた。強引に舌を引き出し、きつく吸い上げる。組み敷いた身が小さく震えた。それに興奮を覚える。
——もっと……。
乱れるがいい。
——もっと淫らに……、
乱れる姿を見たい。
嗜虐的な欲求がふつふつと湧き上がり、身体の熱が上がってくる。欲求のまま、ボロミアは彼の唇を貪り、喉に歯を立てながら舌を這わせ、鎖骨にしるしを刻んだ。胸の突起を口に含めば、その身にさざ波が立ち、かすれた喘ぎが上がった。
常は静謐な光を湛える青灰色の目は既に潤んでいる。彼に触れるのが久しぶりだからか、それとも、ひと月前に感じた怒りが噴出したせいなのか、些細な反応にも今までにない昂ぶりを感じた。額から汗が流れる。
——もっと……。
性愛の形を借りた冒涜は、さながら美味な毒酒だった。甘い痺れに酔ったボロミアは欲求を満たすべく、耽楽の闇の底へと堕ちていった。
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まだ続くのか……って感じですね(^^;)すみません。終わりませんでした。