陽の彩り[2.暗夜]
夜半、自室に引き取ったファラミアの下へ、息を切らせたイシリアンの野伏が駆け込んできた。
「第二環状区の酒場で、酔った客が店の主人の娘に刃物を突きつけて立てこもりました。逃げ遅れた客の中に陛下がおいでになります」
呼吸を整え、水を飲んだ野伏が一気に言った。ファラミアの胸に夕刻感じた厭な感覚が蘇った。やはり外出を許すべきではなかったのだ。しかし、今は後悔の念に浸っている場合ではない。
「情況は?」
「現在、衛兵が店のまわりを取り囲んでおります。立てこもっているのは二人。一人が店の娘を盾に、衛兵と睨み合っています。もう一人は店の奥で客を見張っているものと思われます」
ファラミアは剣を手に取った。
「案内してくれ」
執事に侍従長への連絡を頼み、野伏時代のマントを纏って館を出た。
「陛下のほかに逃げ遅れた客は?」
「おそらく四、五人かと」
逃げた者が居たとは思うが、時間帯を考えると酒を扱う店にしては残った客が少ない。
「客が少なかったのか?」
「いえ、陛下が連中を引きつけてくださったので……」
客の大半が逃げられた——ということらしい。野伏を張りつかせていてもこの事態である。ファラミアは嘆息した。
「お前も逃げおおせた客の一人か」
「……申し訳ありません。なんとか外へお連れしたかったのですが、追い出されました。報せに走れと」
それだけの余裕があったなら、なぜ自身も逃げないのか……。もっとも、疑問に対する答えなら、当人に訊くまでもなくわかっている。後に残る者が一人でも居れば、彼は逃げないのだ。
「どういう情況だったのだ?」
「はい。はじめは勘定が足りぬと亭主と男が揉めていたようで……。そのうち、男が一切払わないと喚き出し、逆に金を寄越せと剣を抜いたのです。それで陛下が止めに入ったのですが、相手は剣を振り回す始末で……。手をお貸しして取り押さえようと思ったのですが、陛下はわたしが立ち上がったのを見て、客を外に出せと合図なさいました」
彼の取った措置は誤りではない。酒場での喧嘩沙汰は周囲を巻き込み、ときにとんでもない惨劇を生む。剣を抜いているなら尚更だ。止める者も加勢する者も、剣を抜いて加わるから手に負えなくなる。
「それで、客たちを店の外へ促したのですが、当然というか、相手に気づかれまして……。それをまた陛下が止めてくださって……」
聞いていて、ファラミアは頭が痛くなってきた。
——酒場で暴漢相手に身体を張る王がどこにいるのだ。
それが残念ながら、自分の仕える主君としてゴンドールにおわすのだから、如何ともし難い。
「立てこもっているのは二人だと言ったな。もう一人はそいつの連れか?」
「はい。陛下が男を叩きのめす寸前、カウンター脇にいた店の娘に短剣を突きつけて『やめろ!』と——」
それで現在の状態になったらしい。
「娘を人質に取られて、店の中の者は動けなくなりました。それでも悟られぬよう、なんとか陛下に近づき、隙を見て外へ出ていただくよう申し上げたのですが、それだったらお前が出ろと命じられまして……」
申し訳ありません、と野伏は頭を下げた。
「陛下の命ならば致し方あるまい」
ファラミアは息を吐いた。国王の身の安全を確保するために張りつかせておいたのだから、それを為せなかった点は過失と言えるが、ファラミアは野伏を責める気にはなれなかった。かの人に命じられて異を唱えられる者が、いったいどれだけいるだろう。
「中に野伏は残っているのか」
人質の中に野伏がいれば、外部の動きに呼応させる手も考えられる。最低限、手足の自由が確保されている場合に限るが、それが出来れば短時間の解決が可能だ。しかし、同行者は首を振った。
「いえ。ちょうど相棒が連絡に離れまして、店に入ったのはわたし一人です」
「そうか」
となると、内部でこちらの戦力になってくれそうなのは国王その人しかいない。なんとも皮肉な話だ。
「陛下にお怪我は?」
今まで聞いた中で彼に危害が加えられた話は出なかったが、立てこもり犯を叩きのめさんばかりに抵抗している。果たして無傷でいられるか……。
「わたしが店を出るまでは特に……」
同じ不安を感じたのか、野伏は顔を曇らせた。
「——あそこか」
第二環状区への門をくぐってしばらく歩いたところで、人が群がっている小路が見えた。
「はい」
店の前は盾を構えた衛兵で固められていたが、その周囲は人の波で埋まっていた。少し離れたところに立っていた野伏が、ファラミアを見て小走りに近づいてきた。
「様子はどうだ?」
「良くありません。ここの隊長は踏み込むつもりです」
突入すれば人質が殺される可能性は否めない。だが、素早く立てこもり犯を仕留めれば、犠牲者は最小限で済む。衛兵としては、下手にずるずると長引かせることは避けたいのだろう。しかし、今、店内に国の命運を背負った人がいる。絶対に助けねばならない。
「隊長にはわたしから待つよう話をする。——裏口は?」
「ありますが、同じ小路に面していますので、動きは丸見えになります」
ファラミアは店を眺めた。ミナス・ティリスの建物の大半がそうであるように、棟は隣とつながっている。隔壁に面している建物では、内部で上下の環状区がつながっていることもあるくらいだ。
「内部は隣とつながっていないのか」
「残念ながら」
「では、屋根だな」
ファラミアは三軒先に目を遣った。天窓から屋根に出られるようになっている。
「あそこから上がって、上階の窓から入る。——階段は使えそうか?」
同行してきた野伏を振り返った。この男は店に入っている。
「危険です。下り口がカウンターの脇なので……」
「ならば、他の手を考えよう。——店内に詳しい者……、店の主人の友人や常連客を捜してくれ」
「かしこまりました」
灰緑色のマントが人だかりの中へ消えていった。
キジも鳴かずば撃たれまい——王も出かけねば(トラブルに)巻き込まれまい……。
手のかかる主君を持つと、臣下が苦労します。あまり“苦労”と思われていないところが人徳でしょうか(笑)。
「陽の〜」となっているのに、サブタイトルが「暗夜」とは何事——というツッコミは自分でしておきました。
手のかかる主君を持つと、臣下が苦労します。あまり“苦労”と思われていないところが人徳でしょうか(笑)。
「陽の〜」となっているのに、サブタイトルが「暗夜」とは何事——というツッコミは自分でしておきました。