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静焔[3]
第一環状区の再建現場を視察していた際、解体中の建物から石の壁が崩れ落ちてきた。幸い、アラゴルンをはじめ、ファラミアや同行していた兵士にも怪我はなかった。
作業していた工夫など他の被害が気になったが、微行姿での視察だったため、身元が明らかになっては騒ぎになると、追われるように城に戻ってきた。
そのまま執務室に入ろうとしたが、砂埃をかぶった白い姿を侍従長に見咎められ、アラゴルンは浴室に向かわざるを得なくなった。
湯を使い、髪を拭われ、浴室の隣で衣服を改めさせられていると、ファラミアが訪ねてきた。既に汚れを落とし、着替えてさっぱりとした姿になっている。仕事の早い男は身支度も早いらしい。
「さっきの被害状況は? 何かわかったか?」
「軽傷の者が数名いるそうですが、死者はいないようです」
「そうか」
アラゴルンはほっと息を吐いた。あれだけの物が崩れて死者がいないのは、不幸中の幸いと言える。
「必要なら寮病院の医師を——」
派遣するよう言いかけて、アラゴルンはファラミアが頷きながら微笑んでいるのに気づいた。
「既に手配済みか」
「ええ。兵士にはそう申し付けました。ですが、その必要もないようです。いずれも現場で対応できるレベルの軽傷だそうで」
「そうなのか?」
「はい。元々、あの壁のすぐ下は人払いがしてあったそうですから」
つまり、瓦礫を避けきれずに下敷きになった人物はいないらしい。それは何よりだと思ったが、付け足された言葉を聞いてアラゴルンは声に詰まった。
「一番近い位置にいたのが、わたしたちだったようです」
「それは——」
身分を隠しての視察を強く望んだのは自分だ。ファラミアをはじめ、側近たちは揃って微行姿の視察に反対した。それを「だったら、勝手に見に行く。予定は組まなくていい」と、半ば脅して実現させた。危険な行動は取らないという約定つきで——。
執政の微笑を横に見ながら、アラゴルンの脇に厭な汗が流れた。なぜだか笑顔の怖い男だ。
「……執政殿を巻き込んでしまったな。すまなかった」
弁解のしようもなく、アラゴルンは謝った。
「わたしのことはお構いなく。ですが、陛下。くれぐれも御身を大切になさってください」
「……わかった。気をつける」
「そのように願います」
念押しの言葉にアラゴルンはため息を吐き、ベルトを締めた。そのまま歩き出そうとすると、侍従に呼び止められた。
「おぐしをお結いします」
「このままでいいだろう」
アラゴルンは無造作に髪を払った。括るのは構わないのだが、少し乱れるだけでいちいち結い直されたり、そのまま寝転がるなと注意されたりする——それがうるさかった。しかし、謹厳実直な侍従長にしつけられた部下は引き退がらなかった。
「面会の予定がございます」
「……そうだったな」
侍従の言うとおり、ベルファラスに所領を持つ者と会う予定が入っていた。賓客であれ、臣下であれ、国王らしい身なりで会うことが望ましい——この数ヶ月、さんざん聞かされたことだ。アラゴルンは諦めの息を吐いた。
「わかった……」
おとなしく椅子に腰かける。侍従は待っていたように髪を結いはじめた。すると、隣でくすりと笑う気配があった。ファラミアだ。
「では、わたしはこれで——」
横目で睨んでやると、笑みを隠すように一礼された。
「失礼します」
「ああ」
——ああして笑うこともあるのにな……。
それでも晴れない翳りは何か、いったい彼の心にどんな影が落ちているのか。立ち去る背中を見送り、アラゴルンはひっそりと息をこぼした。
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